今年の国際IMPACダブリン文学賞は、オランダの作家 Gerbrand Bakker のデビュー作、"The Twin" に決定した。不勉強のぼくには知らない作家の知らない作品ということで大いに興味がある。アマゾンで調べたところ、さいわいペイパーバックが出ているのでさっそく注文したばかり。わりと短そうなので楽しみだ。
上は早起きして急遽書いたものだが、これだけだと物足りない。以下、最近3年間の受賞作のレビューを再録しておこう。
2009年
現代人のあやふやな存在理由、不安定な存在基盤を浮き彫りにしながら、観念的な思索ではなく現実に即した心の中の彷徨と、試練を通じて自己を確立しようとする人間の姿を描いた力作。大学講師まで勤めた有能な黒人の男が自己破産、白人の妻、そして子供たちと別れて友人の家に転がりこみ、家族生活の再建を夢見て悪戦苦闘する。ふと目にしたニューヨークの風景や人々の様子などから、人種差別や貧困、
アルコール中毒、両親の離婚といった少年時代からの悲惨な体験が断片的に想起され、男はときに
自己憐憫の淵に沈む。が、決して感傷に溺れることはなく、日雇いの大工仕事や酒場でのライブ演奏、賭けゴルフなどに従事して新しい生活のための資金を稼ぎ出す。そうした日常的な活動はパワフルな文体で
即物的に描かれるが、そこには男の切羽詰まった心理、凝縮された感情が読みとれてハードボイルド・タッチ。緊張をはらんだアクションシーンもあり、それが「心の中の彷徨」、つまり過去の回想や、現在の不安と絶望、混乱に満ちた思索からなる内的モ
ノローグと対照的で、その静と動の
コントラストが鮮やか。妻子への思いがひしひしと伝わる静の部分はさらに、繊細かつ鋭敏な感覚で綴られた
散文詩にまで昇華されている。個人の精神的危機、魂の試練をとことん描いたこの作品は、
現代文学が文学として成り立つテーマと技法を端的に示した一例と言えるかもしれない。難解というほどではないが語彙レヴェルはかなり高く、上級者向きの英語である。
2008年
内戦で爆弾の雨が降りそそぐ街、
ベイルート。幼なじみの二人の若者が暴力と犯罪にかかわり、危険な行動をくりかえす。
キリスト教徒側の
民兵組織に参加した、デ・ニーロというあだ名の粗暴で無鉄砲な友人と、その伯母や近所の娘に思いを寄せる一方、西側への逃亡を夢見る主人公。ここでは正義や政治的理念が語られることはないし、さりとて戦争の現実が主題として描かれることもない。たしかに人々の心は荒れ、凄惨な場面があり、悲劇が起こる。が、作者の関心はそういう現実ではなく、たまたま戦乱の時代に生きた、しかし戦争ゆえに激しく揺れ動く若者の青春そのものにある。時に饒舌な
散文詩の高みにまで達するエネルギッシュな文体を通じてほとばしる怒りと熱い思い、こみ上げる悲しみ。やがてパリに移り住んだ主人公が明かす「デ・ニーロのゲーム」とは…。カジノやウィスキー偽造の話など暗黒街の影も全編に漂い、かの名画『
冒険者たち』の世界にも通じる青春
フィルム・ノワールと言ってもいい作品である。詩的な表現と緊迫感に満ちた英語だが、語彙レヴェルとしては易しい。
2007年
晩秋の
ノルウェーの森。一人暮らしの老人が五十年以上も昔、少年時代の夏を回想する。この魅力的な設定にふさわしい静かな感動を呼ぶ物語だ。行間に感情が凝縮されたかのような文章からつむぎ出されるのは、まず現在の孤独。老人はなぜ家族との連絡を絶ち、こんな森の奥で住みはじめたのか。少しずつ明らかにされる経緯を読んでいると、その心境に共感できるものが多く、身につまされる思いでいっぱいになった。やがて老人の胸に去来する夏の思い出。親しかった友人との冒険と別れ、ほのかな恋心といったエピソードはイニシエイション物の定番だが、予想だにしなかった
父の秘密の開示とその後の「裏切り」は、家族全員の運命を変え、主人公の人生を決定することとなっただけに、鈍い痛みのような悲しさを感じさせる。馬に乗って父と二人で出かけた旅の話など、読了後に思い返すと哀切きわまりない。それを澄み切った筆致で淡々と綴っているのが見事だし、静かな晩秋と激動の夏の
コントラストも鮮やかだ。過去から姿を現わす男や、突然訪ねてくる娘の描き方もうまい。英訳版ということで英語は読みやすい。