ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Light Lifting”雑感(2)

 キザな言い方だが、「ここには短編小説ならではの豊穣な文学の可能性が広がっている」という昨日の印象は今日もまったく変わらない。どの短編も「人生のそれぞれの瞬間を鮮やかにとらえ、永遠に固定したような場面が連続」し、「独特の緊張感がみなぎっている」。これはいったい何を意味するのだろう。
 思うに平凡な毎日の生活にもじつは、ここで描かれているような永遠の瞬間があふれているのではないか。出来事としては日常茶飯なのに、それが少なくとも一生記憶にのこるだけの意味を持っている。ここで起きる「事件」とは、ほとんどそんなものだ。
 たとえば第4話 "Adult Beginner 1" では、幼いころ海辺でおぼれかけた若い娘が水泳を習おうとスクールに通っている。当然、話は練習光景におよび、幼児体験へとさかのぼる。やがてそれは紛れもない事件に発展していくのだが、考えようによってはその事件すら「事件」とは言えないかもしれない。べつに目新しい話ではないからだ。
 だが、それぞれの瞬間はたとえようもなくすばらしい。その一瞬を永遠の記憶として定着させるには言うまでもなく鋭敏な感覚が必要であり、それをさらに文章として表現するにはやはり文学的な才能が不可欠だろう。まして実体験にもとづかない話であれば、とてつもない想像力と創造力が要求されるはずだ。
 そう考えると、ことさら人生にかんする深い洞察がない物語であっても、人生の瞬間を鋭く切りとる「短編小説ならではの豊穣な文学の可能性」が、フィクションの世界には確実に存在するのではあるまいか。すぐれた短編集を読むと、多かれ少なかれそんな感想を持つものだが、これほど永遠の瞬間としての人生を感じさせる作品に出くわすのは久しぶりである。ぼくは完全にノックアウトされてしまった。