ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Death of Ivan Ilyich & Other Stories” 雑感 (1)

 いろいろ考えることがあり、トルストイの英訳短編集 "The Death of Ivan Ilyich & Other Stories" に取りかかった。訳者はかの有名な Richard Pevear と Larrissa Volokhonsky 夫妻である。夫妻の訳業の偉大さについては今さら言うまでもないだろう。ぼくは恥ずかしながら、ドストエフスキーの "The Idiot" と "The Adolescent" しか読んだことがないが、その内容はさておき、どちらもまず「英語で書かれた作品」として非常にすぐれたものだった。
 さて、この "The Death of Ivan Ilyich & Other Stories" には、今まで Penguin Classics 版で読んだ(夫妻の訳ではない)短編もいくつか収録されているし、それからもちろん、大昔、邦訳で読んだものもある。しかし今回、この短編集と取り組むにあたり、どの作品もすべて初見のつもりで読むことにした。とにかくこの文学の巨人とぶつかることで、何かをつかみたい。これは今年の初め、このブログの数少ないリピーターの方ならご存じの事情で突然、死を意識し、なんとか正常に復したときにふと思い立った。その後、またぞろ怠惰な生活をはじめるにつけ、ますますそう思うようになり、今ごろになってようやく着手した次第である。
 第1話は "The Prisoner of the Caucasus"。これはたぶん、本書に読者を呼びこむために選ばれたような気がする。ロシアの陸軍将校がコーカサス山中でタタール人の捕虜となり、何とか脱出する物語で、まあ、どうと言うことはない。
 第2話 "The Diary of a Madman" は1884年から1903年まで書きつづけられ、しかも未完。生きていることに意味はあるのか、という人生への疑問、実存の不安がテーマだろう。主人公が突然、宗教的な啓示を得るところで終わっているが、残念ながら未完ということで、その啓示は説明不足。ただ、これはぼくの勝手な推測だが、トルストイはこの madman と同じように、狂気に近い強烈な衝動に駆られながら人生の意味を模索しつづけたのではないだろうか。
 第3話は表題作の "The Death of Ivan Ilyich"。ほんとうに偶然なのだが、ぼくが年初めにトルストイを読みたいと思ったのは、もしかしたら、この名作を読み直したいという心理がひそかに働いていたのかもしれない。まこと、本との出会いは不思議な縁である。この内容についてはいろいろ書きたいことがあるが、今日はもう遅いので、読んでいて思わず目が止まってしまったくだりを引用するだけにしておこう。....it was revealed to him [Ivan Ilyich] that his life had not been what it ought, but that it could still be rectified. He asked himself what was "right," and.... (p.90)