ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

John Irving の “In One Person” (3)

 本書がアーヴィングの旧作とくらべて見劣りがする最大の理由は、テーマがわかるとあとはワンパターンだからである。たしかに「男女とりまぜ(主人公)ウィリアムの性的体験の相手が次々に登場」するのはそれなりにおもしろい。「ドタバタ調のコミカルなエピソード」が大半を占めるからだ。が、それも程度問題で、とりわけ中盤の山場を過ぎると「ホモ・レズ話の連続に食傷」してしまう。お殿様、そればっかり、というやつだ。昔のアーヴィングは、もっともっと読者の度胆を抜く奇想天外なストーリーを書いていたのではないか。
 そこで点数は低めになってしまったのだが、では本書は駄作かというと、そんなことはない。アーヴィングの専門家には勘違いを笑われるかもしれないけれど、ぼくなりに本書の美点をまとめてみたのがレビューである。「神ならぬ人間に完全な愛はなく、それゆえ完全な相手や伴侶もいない。ところが人間はそのことに満足できず、至上の愛を、最高の相手を求める。そこに悲劇が生まれ、喜劇も生まれる。この古びたテーマが小説巧者アーヴィングの手にかかると、かくも新鮮な味わいを帯び、かくも現代的な問題として迫ってくるものかと、まずそのことに感心する。…バイセクシュアルゆえの悩みに人間存在の問題が誇張して描かれている点が秀逸である」。
 「バイセクシュアルゆえの悩み」とは、簡単に言えばコウモリの悩み。男にも女にも…あ、いけない、ネタをばらしてしまった。ともあれ、バイセクシュアルに目をつけたところはさすがアーヴィングだと思う。それによって、「古びたテーマ」がみごとによみがえっているからだ。何年か前、このブログで『"Moby-Dick" と「闇の力」』と題した一連の駄文を綴ったとき、ぼくはロレンスの『アメリカ古典文学研究』を引用したことがある。
 「愛はけっして充足を与えてくれはしない。生活はけっして永続的な至福をもたらすものにはならない。楽園などありはしない。戦い、笑い、苦しい思いをし、楽しい思いをし、それからまた戦うのだ。戦い、戦いつづけるのだ。それがつまり生活だ」。(酒本雅之訳)
 メルヴィルを論じた一節だが、これはもちろんロレンス自身にも当てはまる言葉である。この感動的な生き方が「アーヴィングの手にかかると」ケッサクな悲喜劇となる。惜しむらくは、それがすこぶるつきのケッサクではなかった。…いやいや、あなた、とんでもない誤解をしてますよ、と英文科の先生方に笑われそうですな。