ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barry Unsworth の “Sacred Hunger” (1)

 Barry Unsworth の "Sacred Hunger" をやっと読みおえた。1992年のブッカー賞受賞作である。さっそくレビューを書いておこう。なお、かなりネタを割っているのでご注意ください。

[☆☆☆☆★] 現代文学ではめずらしく、道徳の問題をみごとにドラマ化した大力作である。18世紀のイギリスによる三角貿易を背景に、利潤の追求を「聖なる欲」、つまり、あらゆる手段を正当化するものと見なすリヴァプールの実業家、エラスムス。彼はおのが正義感に駆られ、一家に大損失をもたらした自分のいとこ、パリスを断罪しようとする。しかし一方、その正義感の裏に私怨がひそみ、正義自体が虚妄にすぎないことを気にかけている。こうした道徳的煩悶は、小説を深化させるものとして大いに称揚したい。そのエラスムス以上にもだえ苦しむのがパリスである。彼は船医として奴隷船に乗りこみ、黒人奴隷への非情な仕打ちに義憤をおぼえ、船長と対決。奴隷を解放し、やがてフロリダの地で、白人と黒人が平等かつ自由に暮らす地上の楽園を建設する。人間は自然状態では善であり、自由と平等は生得の権利なのだと主張する乗客も登場するが、パリス自身は、奴隷の解放が流血の惨を招いたことを思い悩み、そもそも自分には正義を訴える資格がないと絶望している。にもかかわらず悪を座視できずに立ち上がり、それゆえ道徳的ジレンマにおちいったところに彼の偉大さがある。そうした人物が主人公であればこそ、本書はすぐれた文学作品たりうるのだ。「地上の楽園」の住人にも価値観の相違が生じ、権力を志向し権力に追従する動きがあるというエピソードも、人間性にかんする作者の深い洞察を物語っている。以上が本書の最大の眼目だが、そこにいたるまで長大なイントロがつづく。エラスムスが恋に落ちる一方、パリスのほうは嵐に遭遇、奴隷売買の実態や、奴隷船の劣悪な環境、船員同士の争いを目撃するなど山場の連続だ。それが上のように数々の道徳的問題に収斂するとは、波瀾万丈にして深遠、まさに骨太の歴史小説である。