ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “Flight Behavior” (2)

 早く本書の落ち穂拾いを、と思っていたが、この週末も大忙し。読みはじめた本もろくに進まず、ただもうグッタリしていた。宮仕えの男は……あ、これは先週末にも書きましたな。
 さて、あらためて米アマゾンを検索すると、レビュー数が1004に増えているが星は4つのまま。相変わらず大人気のようだ。けれども、へそ曲がり、アマノジャクのぼくは途中からいささか飽きてしまい、「蝶の異常発生をめぐる大騒ぎなどコミカルなエピソード」こそ楽しかったものの、あとはけっこう読み流してしまった。
 その最大の理由は、本書における「人生の問題の小ささがどうしても目だってしまう」からだ。たまたま本書の前に読んだ Barry Unsworth の "Sacred Hunger" との差は歴然としている。あちらもかなり長くて難儀したが、読後にふりかえると、あの長さには意味があったことがわかる。深い道徳的ジレンマや、人間の生き方にかんする価値観の相違を描くには、それ相応の長さが必要だからだ。
 ところが "Flight Behavior" の場合、なるほど自然開発と環境保全という対立軸は認められるものの、その関係はかなり図式的であり、しかも、作者がどちらに軍配を上げようとしているかすぐにわかる。こういう対立を読んでいると、ムダに長い、と思わざるをえない。
 図式的といえば、自然編と人間編、エコロジー編とホームドラマ編が「巧みに織りまぜ」られ、「みごとに合体」しているのはたしかに美点なのだけれど、そのどちらに主眼があるかは言うまでもない。それどころか、本書の各人物はエコロジーの問題を訴えるための道具にすぎないのではないか、とさえ思えてくるのである。
 "Prodigal Summer" では、そんなことはなかった。「アパラチアの山中と農場で暮らす人々を中心に、人生の有為転変、悲喜こもごもが説得力ある筆致で描かれ、家族とは、夫婦とは、隣人とは、恋愛とは……という問いが常に発される一方、そういう人間の営みと並行する形で、動植物をはじめとする自然の営みが愛情をこめて詩情豊かに謳いあげられる。さまざまな対立や誤解もあれば、激しい情熱や心温まる交流もある人々の動き。単なる背景では決してなく、あくまでも人間生活に密着した草花や虫、鳥や動物の生活。そして人は自然の移ろいを見て、おのが人生を顧みる。以上のような文脈の中で生態系のもつ意味が語られるのだ」。
 昔のレビューの一節だが、ひるがえって "Flight Behavior" の場合、人間編のほうがいかにももの足りない。時間がたてばたつほど、「蝶の大乱舞」だけが思い出される作品のような気がする。