ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Klingsor's Last Summer" 雑感 (4)

 表題作を読もうと思って取りかかった本書だが、じつは巻頭の短編 "A Child's Heart" の中から前回引用した箇所が、知的な昂奮をいちばん覚えるところかもしれない。
 まず表現から詳しく見てみよう。'Perhaps for the first time in my life' とある以上、この少年はその後、何度か同じような経験をしたものと思われる。'almost to the verge of understanding and consciousness' ということは、ここで描かれている事件当時、少年はまだその経験の意味を十分には理解・認識していなかったことになる。
 つまり、ここでもまた、「大人の視点から少年の心理を分析する」という作業が行なわれているわけだ。少年は大人になってから(正確には30年後)、その昔おぼろげに感じたことを紙の上に定着させようとしている。「客観性と説得力」がある書き方の一例である。
 が、すぐれているのは、そんな職人芸だけではない。「善から悪が生まれる」という、見方によっては人間にとって最大の不幸が端的に示されている点に「知的な昂奮をいちばん覚える」のである。ふたたび引用しよう。'....how utterly two well-intentioned human beings can torment each other, and how in such a case all talk, all attempts at wisdom, all reason merely adds another dose of poison, creates new tortures, new wounds, new errors.'
 ぼくはこのくだりを読んだとき、お、さすがはヘッセ先生、やっぱりタダモノではなかったな。「ヘッセなんて……」と鼻先で笑っていたのは軽率だったかもしれないぞ、と思わず居住まいを正してしまった。
 このテーマをさらに追求した作品を、それもテーマの重さからして当然のことに長編をヘッセは果たして書いていたのだろうか。いつものように勉強不足のぼくには見当もつかないが、もしそれが事実なら、ヘッセはドストエフスキーとは言わないまでも、比較して「(ヘッセのほうが)旗色が悪い」ような気がした William Golding や Graham Greene くらいには肩を並べる大作家だったのかもしれない。どうでしょうか。
(写真は、亡父が愛した愛媛県南予アルプスの山々。篠山付近から)。