ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(10)

 〈若き日の芸術家 Tonio の肖像〉を端的に描いたくだりがある。'So for all result he was flung to and fro forever between two crass extremes: between icy intellect and scorching sense, .... "What a labyrinth!" he sometimes thought. "How could I possibly have got into all these fantastic adventures? ...." ' (p.92)
 「知性と感覚という両極のあいだにある迷宮」。むずかしい表現だが、これが芸術家たらんとした Tonio の悪戦苦闘の日々を物語っていることは間違いない。その苦悩を理解するためには、前回のまとめに戻る必要がある。
 「文学者は芸術的衝動に駆られ、知性と言葉の力を発揮するうちに、人生の悲喜劇的な真実に到達する」。言うは易く行なうは難し、というのが実際のところではなかろうか。ぼくは昨年、Hermann Hesse の中短編集 "Klingsor's Last Summer" について論じているうちに脱線し、この国の文学者たちの不可解な言動を槍玉にあげたことがある。
 「みずから平和を守るための戦いは正しいと信じて戦いながら、その一方、国家単位で、あるいは宗教単位や民族・人種規模で昔から人間が行なってきた平和を守るための戦いは正しくない、というのは言葉の矛盾ではないだろうか。言葉を扱うことが専門であるはずの文学者がそんな矛盾を犯していいのか」。
 さらに言えば、言葉の矛盾とは知性の矛盾である。言葉をまともに発するには、頭の中できちんと考えること、つまり知性が必要だからだ。そのうえさらに、彼らは自分の考え(平和)と実際の行動(戦い)が矛盾していることにも気づいていない。気づいているとしても正当化している。これではもう、矛盾というより混乱、もしくは独善といったほうが正しいだろう。
 いけない。ついまた脱線してしまった。とにかく、言うは易く行なうは難し。「知性と言葉の力」とは、ことほどさように活用しにくいものであり、よしんば「人生の悲喜劇的な真実」を見抜いたとしても、それを言葉で芸術的に表現するとなると、これまた至難の業である。少なくとも、凡庸な文学者になせる業ではない。
 そこで、「知性と言葉の力によって、ものごとの本質を究め、自分をふくむ人間の精神構造、世界と人間の内面的、究極的な真理を明らかにしようと」する真の文学者は、イバラの道を歩むことになる。"What a labyrinth!" とは、まさに言い得て妙ではないだろうか。
(写真は、宇和島市天赦園の陰陽石)。