ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Possession" 雑感(3)

 ぼくはほとんどいつも、途中で点数評価はしないことにしている。理由は言うまでもないだろう。けれども本書の場合、かなり早い段階から☆4つかな、という気がしはじめた。
 世間の評価は非常に高いものと思う。例によって書評のたぐいはいっさい目にしていないが、なにしろ1990年のブッカー賞受賞作だ。絶賛の嵐かもしれない。
 むろん☆4つということで、ぼく自身、敬愛する映画評論家、亡き双葉十三郎氏の言葉を借りれば「ダンゼン優秀」と認めている。ちなみに、ぼくの評価の仕方は、フタバ氏の『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』のパクリで、☆が約20点、★が約5点。映画と小説という違いはあるものの、「芸術には試験の答案みたいな満点などありえない」という氏の持論はもっともだと思うので、ぼくも過去、満点はつけたことがない。過去の最高点は、これもパクリで☆☆☆☆★★。最近では、"The Red and the Black" に進呈した。
 というわけでダンゼン優秀にはちがいない。それを裏付ける美点も、おそらく今までの世評と似たり寄ったりだろうが、すぐにいくつか挙げることができる。いつもならそういう雑談からスタートするところだ。
 しかし今回、多くの美点と同時に、ぼくの独断と偏見で若干、不満を覚える点も早いうちから目についた。そこが物語の進行につれ、どう解消されるのか。そういう興味をもちながら読み進むことになったので、例外的に途中で点数を出してしまったのである。
 どこが不満なのか。じつは読んでいるうちに、思わずニヤリとする箇所に出くわした。はああ、さすがは Byatt、ぼくのようなヘソ曲がりの読者もいることを予想して、ちゃんとその不満を封じる予防線を張っているのでは、と読めるくだりがあったのだ。
 ぼくの不満というか疑問は二点。それが要約されている一節はこうだ。'She [Ms Patel, a television journalist] then became businesslike, fetching out her pad and saying, "Well, what's important about Randolph Henry Ash [a Victorian poet]?" .... He [Blackadder, a professor] said, "He understood the nineteenth-century loss of religious faith. He wrote about history ― he understood history ― he saw what the new ideas about development had done to the human idea of time. He's a central figure in the tradition of English poetry. You can't understand the twentieth century without understanding him." Ms Patel looked politely baffled. She said, "I'm afraid I never heard of him until I got into this story. .... So tell me why we should still care about Randolph Henry Ash?" ' (pp.432-433)
 すでに多くのファンがいる名作の誉れ高い作品だろうということで、いきなり本題から入ってしまった。未読の人にはわかりにくい引用かもしれないが、もう少し先を続けよう。' "I've been asking Professor Blackadder a few questions about the importance of Randolph Ash," said Ms Patel. "I'd like to ask you [Professor Stern] the same questions about Christabel LaMotte [a Victorian poet]." ' (p.434)
 二人の教授がTV番組でインタビューを受けることになった場面である。彼らはそれぞれヴィクトリア朝の有名な詩人、Ash と LaMotte の専門家で、この詩人たちがどうやら深い関係にあったらしいことがわかる。それを裏付けるような Ash の手紙を発見したのが Blackadder の助手の Roland で、彼も Ash の研究者。Roland は LaMotte の研究者である Maud に協力を求めたとき、こう述べている。'I suppose they [the letters] might represent a considerable academic scoop.' (p.56)
 ぼくはもうこのあたりから、へえ、Ash と LaMotte は文学的にどういう意味で偉大な詩人だったんだろう、と疑問に思いはじめた。で、彼らが偉大であったことは認めるとして、二人が関係していたことが、それぞれの作品解釈にどんな光を投げかけるのか。その academic scoop は現代人にとってどんな影響を与えるのか。以上が二つの、いや三つかな、疑問点である。
 もちろん Ash と LaMotte が架空の人物だということは、これまた早い段階で気がついたが、実在であろうと架空であろうと関係ない。たとえばシェイクスピアが、エリザベス朝の有名な女流詩人と関係していたことがわかったとする。その発見によって、彼の作品を読むうえで何が変わるのか。読者にとってどんな新しい意味が生まれるのか。
 なんだかミもフタもない話をしているようだが、ぼくはそういう疑問をもちながら本書を読み進んだのである。ところが、その疑問を解消してくれる箇所がなかなか出てこない。それがじつは不満だったのだ。
 むろん、Roland や Maud の言葉を拾うと、彼らが二人の詩人を偉大な文学者と見なし、二人の関係がそれぞれの詩の解釈を変更させるものと考えていることはわかる。が、それがイマイチ説明不足なのだ。
 そこへ終盤になってようやく、最初に引用した「思わずニヤリとする箇所に出くわした」。「はああ、さすがは Byatt」と感心したのだが、上のくだりでぼくが納得したかというと、残念ながらまだ疑問は氷解していない。むしろ、「何じゃ、これは」と思ってしまった。
 それについて詳しく説明してもいいのだが、先が気になるので今日はこのへんで。
(写真は宇和島市八幡鉄橋。須賀川にかかる橋で、予讃線予土線が走っている)。