ちょっと驚いた。「竜頭蛇尾のアレゴリー小説」とぼくがケチをつけた "At Night All Blood Is Black" (☆☆☆★)が、大方の予想に反して国際ブッカー賞を受賞するとは!
もっとも、本書は2番人気だったので、なかには予想が的中した現地ファンもいる。ぼくはもちろん、みごとに外れてしまった。(後記:あるファンによると、Interesting they had a split vote and this was a majority view. It’s very rare for prize panels to admit that. なのだそうだ)。
今年の同賞レースではまず、Maria Stepanova の "In Memory of Memory" が内容的にしんどそうだな、と思った。
そこでいちおう、1番人気と2番人気の最終候補作だけ付きあうことにした。
二作を読みくらべた結果、人気順どおり、ぼくも "When We Cease to Understand the World" のほうがいいと思った(☆☆☆★★★)。いまでもそう思っている。
同書についてはいずれまた落ち穂拾いをしよう。受賞作がぼくにはピンとこなかった最大の理由は、前半と後半の整合性がどうも取れていないように思えたからだ。このアンバランスさにかんしては、だれしも認めるところだろう。そのあたり、選考委員の論評では筋の通った解釈がなされているのかもしれないが未読。
それから、途中いくつか道徳的難問が提示されているようなのだが、それがどこまで意識的なプロセスなのか疑問に思った。レビューから例を挙げると、「友情か義務かというディレンマ」は「状況的に安楽死や尊厳死の問題にもつながる深い葛藤のはずだが、この葛藤はあっさり片づけられ、彼(主人公アルファ)は一瀉千里、狂気のような残虐行為へとひた走る」。
このとき、アルファは掟を the voices that command us not to be human when we must(p.11)や the inhuman laws that pass for humane(p.92)と捉えているのだが、掟という「他律的なタガの外れた瞬間」、つまり the moment I realized that I could think anything(p.4)、アルファが「残虐行為へとひた走るのは皮肉な結果である」。が、その描写はべつにアイロニーを帯びているわけではない。作者はどうやら「皮肉な結果」とは考えていないようだ。
なにはともあれ、アルファの残虐行為の引き金となった上の瞬間について詳述しなければ、それが「意識的なプロセス」とはいえないはずだ。ここではしかし、人間はなぜ蛮行に走るのか、という点が明らかに書き込み不足であり、蛮行のみ詳しくリアルに描かれている。そこらへんがぼくには大いに不満だった。
ただし、ご存じのとおり、本書は国際ブッカー賞の前に、ロサンゼルス・タイムズ文学賞も受賞している。ふたつの受賞理由を読めば、ぼくのお門違いの疑問も氷解するのかもしれない。