ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Donna Tartt の “The Secret History”(2)

 Donna Tartt といえば一般には、ご存じ "The Goldfinch" (2013) で一躍有名になった作家である。それまではこの "The Secret History" (1992) が長らく代表作だった。
 ぼくが初めて彼女の名前を目にしたのは何年前のことか憶えていない。きのうは Penguin 版の表紙をアップしたが、実際に読んだのは Vintage Contemporaries の初版。ずいぶん黄ばんでしまい、それだけ長い宿題だったことを物語っている。いつか取り組もうと思っているうちに、"The Goldfinch" が2014年のピューリッツァー賞を取ってしまい、どちらを先に読もうか迷った末、結局どちらも手つかずのままだった。
 同書はそのうち気が向けば読むつもり。が、"The Secret History" が長年の宿題だったわりには期待はずれだったので、当分やはり宿題になりそうな気もする。
 Donna Tartt 自身は決してミステリを書こうとしたのではないと思う。が、何であれ「犯罪がからむ以上、ミステリ的興味を引き出さなければ平凡な作品になる」。実際、最初からネタを割らないよう、「次第に不安に満ちたミステリアスな空気が流れる」書き方になっている。定石どおりの技法で、「そこまではいい」。
 そのあとの説明がむずかしい。彼女はミステリを書くつもりではなかったにしろ、殺人事件が起こり、べつの殺人が企てられて遂行され、警察やFBIの捜査が始まり、犯人たちは戦々恐々とする。と書けば、これは明らかにミステリの展開だ。事件の核心にふれずに事実関係を説明するのが厄介なのだ。
 とはいえ、おもしろくない、とだけはハッキリ言える。ぼくは先週、Alan Hollinghurst の "The Line of Beauty" を読みながら、「ここ、ムダに長い」と何回もメモしたものだが、本書にもべつの理由で同じことが当てはまる。あちらはしつこいほど装飾的な文体だったが、こちらはまず「端役と小道具の説明が多すぎる」うえ、通俗的な会話や描写も多い。とりわけ事件の概要がわかり、要するに大した事件ではないと知れたとたん、どうしてこんなに細かいことをぐだぐだと書くのだろう、と眠い目をこすりながら読んでしまった。
 Donna Hartt はとてもまじめな作家のような気がする。どの人物、どの場面、どのエピソードもみっちり書き込まずにはいられない。だからコミック・レリーフも息抜きになるはずなのに笑えない。シリアスな話題の場合と同じように力が入りすぎている。ここはもっと軽いスラップスティック調だったらいいのに、と何度か思ったものだ。
 さりとて、シリアスなほうは突っ込みが甘い。上の事情で詳しくは書けないが、こんなに中途半端な純文学路線だったら、かっちりした倒叙ミステリ、たとえば Richard Hull の "The Murder of My Aunt" あたりのほうがよほどマシなのでは。「犯罪を扱うからには、倫理の問題にまで発展しなければ文学的な高みは望むべくもない」。その高みに達している代表例は "Crime and Punishment" である、と書けば、本書の突っ込みの甘さが想像できるだろう。
 幕切れ近くで主役端役とりまぜ、登場人物の後日談がひとしきり続くところは、映画『アメリカン・グラフィティ』の最後を思わせる。あのシーンには胸をえぐられたものだが、こちらには感動を覚えなかった。青春小説の定石を踏みながら、あれもこれもと「総花的」に盛り込みすぎているからだ。"The Goldfinch" は本書から約20年後の作品である。Donna Hartt がどんな成長を遂げているか楽しみだ。
(写真は宇和島市来村(くのむら)川。きのうアップした風景の下流付近)。