イタリアの作家 Antonio Tabucchi(1943 - 2012)の "The Edge of the Horizon"(原作1986, 英訳1990)を読了。さっそくレビューを書いておこう。
[☆☆☆★] 目に映る水平線は、見る者が動くたびに移動し、時がたてば闇のなかへと消えていく。同様に、アイデンティティはつねに流動的で、ついに把握しえぬものかもしれない。書中のことばと、スピノザにふれた著者の「あとがき」を結んでふりかえると、そんなアイデンティティ不可知論に駆られたくなる。モルグに通称カルロという若者の射殺体が搬入され、事件に関心をもったモルグの職員スピノが、カルロの人物像と死にいたる経緯を解明しようと調査に乗りだす。このミステリ仕立ての展開はかなりおもしろい。カルロの所持していた写真から、スピノ自身の少年時代の記憶がよみがえる、という設定もいい。彼の自分さがしにつながりそうだからだ。ところが、調査はやがて行きづまり、スピノが接触しようとした情報提供者もあらわれず、真相はすべて藪のなか。カルロとスピノの接点を匂わせる序盤の記述は結局思わせぶりにすぎず、スピノの自分さがしも挫折。ミステリとしては中途半端な仕上がりだが、アイデンティティとは「水平線のはずれ」にあり、「つねに流動的で、ついに把握しえぬもの」という不可知論からすれば、中途半端はむしろ当然の帰結ともいえよう。