ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tayeb Salih の “Season of Migration to the North”(1)

 ゆうべ、スーダンの作家 Tayeb Salih(1929 – 2009)の "Season of Migration to the North"(1966, 英訳1969)を読了。本書は2001年、アラブ諸国の文学関係者により、「20世紀にアラビア語で書かれた最も重要な小説」に選定されている。4回目のコロナワクチン接種の副反応のため、読みおえたのは寝床のなかだった。いまもまだ頭がぼうっとしている。はて、どんなレビューになりますやら。

[☆☆☆☆★] 書中の人物ムスタファの手記から引用すれば、これは「ものごとを黒か白かで見る人びと」にむけて書かれた本である。実際には、ひとは黒と白ないまぜの世界に生きている。早い話が、この世には完全な善人もいなければ完全な悪人もいない。黒白の割合が千差万別なだけだ。こうした矛盾に満ちた存在である人間は、心の内外でつねに分裂と衝突をくりかえしている。1920年代、スーダンの天才青年ムスタファが「南から来た侵入者」としてロンドンで北の西洋社会と対峙。その衝撃は「カルチャーショック」ということばでは言いつくせぬほど激しく、まさに規格外、ケタはずれの愛憎劇が展開される。これをコロニアリズムと反コロニアリズムの闘いの象徴と解するのは、たぶんお門ちがい。この男と女の愛と憎しみ、虚と実の争いは、「黒と白ないまぜの世界」に生きる「矛盾に満ちた存在である人間」が、心の内外でたえずくりかえす分裂と衝突そのものである。それはまた流動的な現象ともいえるが、本書は変化と流動のみを是とする相対主義ではおわらない。ムスタファの告白を聞いた本書の語り手は、最後、北へ南へと流れるナイル川のなかで生死のはざまを漂いながら、ある決断をくだす。分裂から決断へ、とは、すこぶる人間的な生きかたである。文字どおり人生そのものを描いた傑作である。