ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kate Grenville の "The Secret River"

 出張から帰ってきたが、疲れていて本が読めない。出発前に "Dirt Music" でお茶を濁したので、オーストラリアつながりで "The Secret River" の昔のレビューを載せておこう。

The Secret River

The Secret River

[☆☆☆★★] 06年度ブッカー賞の現時点で候補作だが、さて受賞結果はどうなるか。昨今の歴史小説ブームを反映してか、本書の舞台は19世紀初頭、イギリス人流刑囚が開拓に着手した時代のオーストラリア。アメリカもそうだが、フロンティアは英米人のルーツに関わる問題として、いまだに彼らの心を揺さぶり続けているらしい。イギリス本国での貧困と犯罪にしても、彼の地における数々の苦難にしても、本書のリアルな描写を生みだす原動力はとどのつまり、「種の根源への関心」なのではないかと思われる。丹念な調査の結果だろうが、ここには細かい事実の積み重ねによる迫真性があり、フィクションというよりむしろ、ある実在した一家の年代記を読んでいるような印象を受けるほどだ。一方、客観描写にふと紛れこむ心理の葛藤、情感の表現もみごとで、それが文芸作品としての深みを増している。決して波瀾万丈ではないが、各章にそれぞれ山場を設けたオーソドックスな構成で、とりわけ、プロローグの不安に満ちた場面が予感させるように、次第にアボリジニとの緊張が高まり、やがてオーストラリア建国の歴史を象徴する大事件へとつながる終盤の展開が圧巻。複雑な余韻を残す結末も印象的だが、これで例えば、コンラッドのように人間性の根元に迫る問題意識があれば…というのは欲張りな注文かもしれない。英語は準一級程度で読みやすい。

 …一昨年のブッカー賞の発表前、あわよくばと当てこんで取りかかったが、読んでいる途中からこれは受賞しそうにないな、と思ったのを今でも憶えている。その後、某社の編集者からも、日本では厳しいでしょうという話を聞いた。アボリジニの虐殺でクライマックスを迎える後半の盛りあがりは迫力満点だし、力作であることは間違いないのだが、オーストラリアの歴史そのものが日本の読者には馴染みが薄い点で損をしている。
 それより何より、この本はクライマックス後の結末が弱い。細部はもう忘れてしまったが、せっかく人間の本質にふれる問題を提起しておきながら、提起だけで終わってしまい、えらく図式的な処理だなと思った記憶がある。本当は該当箇所を読み直して確認すべきなのだが、上の事情で疲労のため、今日はこれくらいにしておこう。