ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tatiana de Rosnay の "Sarah's Key"(2) 

 ホロコースト物を読むのは John Blum の "Those Who Save Us" 以来で、あれもやはりニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストで知った本だった。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080517 ぼくはそのとき、次のように書いている。
 生理的な不快感は別にしても、ナチス物を読むには一種の覚悟が必要である。どんなに悲惨な事件が起こっても、「さもありなん」という「想定内感覚」がつきまとうため、よほど斬新な角度から取り組まれたものでないかぎり、小説として純粋に感動することがなかなか難しいからだ。
 今でもこの意見に変わりはないが、今回べつに「覚悟」を決めて取りかかったわけではない。Trade Paperback 部門のベストセラーで久しぶりに「新顔」を見かけ、読みだしたらたまたまナチス物だったというだけの話。
 が幸い、「想定内感覚」をいくぶん超える想定があったので助かった。まず、昨日も書いたように、ユダヤ人をアウシュヴィッツへ送りこんだのがフランス人だったという点である。たしかにネットで検索すると、本書に出てくるとおり、1942年7月16日、Operation Spring Breeze(春風作戦)の名のもとにパリでユダヤ人狩りが行なわれ、それに関与したのがフランスの警察であったという記事が載っている。が、「助かった」と言うのは、そういう史実を初めて知ったからではない。
 この本を読んでいて、あ、これは本当だな、と思ったくだりがいくつかある。たとえば、交通整理などで親切に接してくれた警官が、ユダヤ人狩りの際には無表情そのもの、少女と目が合っても知らんぷり。これなど、その場面がありありと浮かんでくる話で、小説を読む楽しみのひとつは、良きにつけ悪しきにつけ、そういう人間の真実の姿にふれることだ。
 ほかにも、住民が「知らなかった。あれは暗黒の時代だった」と言って事件の取材を拒否するなど、「この小説の登場人物はすべて架空」という作者の前書きとは裏腹に、フィクションとは思えないリアリティーがある。つまり、単にショッキングな史実を紹介するだけでなく、それをしっかり小説の材料として料理している作品であったこと。それが「助かった」という意味だ。