ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Netherland" 雑感(1)

 今年の話題作のひとつ、Joseph O'Neill の "Netherland" を仕事の合間にボチボチ読んでいるのだが、今のところ、とてもいい作品だと思う。早く読みおえたいのだが、諸般の事情でなかなか読書に時間が割けないのが残念。
 本書で気に入っている点は、まず、9.11テロ事件前後のニューヨークが主な舞台であるにもかかわらず、政治とはほとんど無関係の物語であること。もちろんテロの不安やイラク戦をめぐる論議など、異常な政治情勢が背景にあるのだが、主人公いわく、「私は政治的にも倫理的にも白痴だった」。
 主人公は銀行のアナリストで経済の動きには詳しいのだが、それも仕事上の話で、個人的には政治や経済、道徳など、いわゆる大きな問題にはほとんど関心がない。それより自分自身の精神的な混乱、不安、落ちこみのほうが頭から離れない。テロ事件のあと妻が子供を連れてイギリスに帰国、別居を余儀なくされたのが引き金だが、それ以前にも、故国オランダで女手ひとつで自分を育ててくれた母親の死にショックを覚えている。
 そんな主人公の心に、オランダ時代など昔の思い出が走馬燈のようによぎる。Anne Enright の "The Gathering" や Jim Harrison の "Returning to Earth" でも使われていた「イメージ連想法」、つまり、「現在の人物や場所をきっかけに過去の回想が切れ目なく混じる技法」で、この効果はかなり大きい。主人公の混乱ぶりがますます切実に伝わってくるからだ。その点、コアになるべき物語が希薄なアン・エンライトのブッカー賞受賞作より優れている。
 そもそもニューヨークの話自体が回想形式で綴られ、落ちこんでいた時期に知りあった友人の死が次々に思い出をよみがえらせる。友人はクリケット狂で、このクリケットがらみのエピソードが主人公の心境と絶妙にマッチしている。クリケットの知識など皆無のぼくだが、たしかヒッチコックの『バルカン超特急』にもクリケット狂の男たちが出てきたはずだ。あれはヒッチの最高傑作のひとつで、列車の窓ガラスに書かれた文字が消えていく場面など、いまだに忘れられない。

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