ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Juan Rulfo の “Pedro Páramo”(1)

 きのう、メキシコの作家 Juan Rulfo(1917 - 1986)の "Pedro Páramo"(1955, 英訳1993)を読了。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆☆★] 生は死によって完結し、愛もまた死によって完結する。死がなければ、生も愛も完成しない。それが本書の要諦だ。亡き母の遺言で、父ペドロをさがしに男が死者の町を訪れたときから、みじかい断章ごとに話者・視点が交代、人称も変化。過去と現在、回想と独白、夢と現実、生者と死者が混淆し、時には死者同士も語りあう。こうした生と死のポリフォニーが幾重にも織りなすマジックリアリズムの世界はまた、愛と死の世界でもある。男と女、夫婦や親子など、あまたの人びとが結ばれ別れ、先だたれ、彼・彼女の死後も自分の死後も相手が忘れられない。町の大地主で漁色家のペドロが、幼なじみの若い娘にいだく愛情も、彼女の死があってこそ狂おしいまでに昇華される。1926年に起きたクリステロ戦争当時の宗教弾圧が尾をひくメキシコの政治状況を背景に、民衆のあいだに根づよくのこる土着的信仰心を描いた反政治の書という側面もあるようだが、なによりもまず、これは死が生の対極にあり、死によって生が消滅すると考える、西欧近代合理主義にもとづく自明の理を根底からくつがえすものだ。この前近代的、非合理的な思想はしかし、意図した結果ではないにしろ、「死後の世界がどんなものかはわからない」というソクラテスへの回帰でもある。そこで本書は、生は死でおわらない、ゆえに愛もまた死ではおわらない、という生と死と愛の現実を、その要諦を非西欧人のみならず万人に開示したことになる。マジックリアリズムの古典たるゆえんである。