ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Linden MacIntyre の “The Bishop's Man”(4)

 金曜日に飲み過ぎてしまい、この土日は絶不調。もう年も年なのだからアルコールは控えねばならないのだが、一週間どころか先月以来のストレスがたまりっぱなし。おかげでつい度を超してしまった。ほとんどヤケ酒だが、酒でも飲まないとやってられない、という本書の主人公、ダンカン司祭の気持ちがよくわかった点だけが収穫といえば収穫か!?
 さて、気持ちを取り直して前回の続きを書くと、メルヴィルの『船乗りビリー・バッド』には、本書とはまったく異なるかたちで裁きの問題が出てくる。イギリスの軍艦の水夫で善良な少年ビリー・バッドが、悪の体現者ともいうべき上官のクラッガートを撲殺。それを裁くのがヴィア艦長だが、ヴィア艦長は、「この薄倖の青年に対する情において忍びざること、(乗員)諸君に劣るものではない」とビリーの善なる立場を認めつつ、「ひとえに、義務を重んじ、法秩序を守ろうとする一心」からビリーに死刑を宣告する。(坂下昇訳)
 つまり、その裁きには法と道徳の問題がからんでいるわけだが、ヴィア艦長の下した判決は決して血も涙もないものではなく、処刑直前にヴィアが洩らす「ビリー・バッドよ! ビリー・バッドよ!」という言葉が示すとおり、彼は心の中で泣いている。それなのに、上官殺しが反乱につながることを未然に防ぐべく、艦内秩序を重んじて表向きは非情な決断を下したのである。
 これは本来もっと深く掘り下げないといけない問題だが、今日はとてもそんな時間がない。ともあれ、ぼくがここで言いたいのは、そういう過去の超弩級の名作と較べると、この "The Bishop's Man" はいかにも突っ込みが甘く、ほとんど本質論の入口に終始している。終盤に差しかかるまで本当にいい味を出していただけに残念だ。以下、『ビリー・バッド』の昔のレビューを再録しておこう。

Billy Budd, Sailor (An Inside Narrative Reading Text and Genetic Text)

Billy Budd, Sailor (An Inside Narrative Reading Text and Genetic Text)

 現代の基準に照らせば確かに英語は難解だが、例えばシェイクスピアの作品を難解だからといって低く評価する人はいない。同様に、本書も英語の難易度だけで判断すべきではないと思う。実は、本書はメルヴィルの入門書としては最適の一冊なのだ。まず、何と言ってもページ数が少ない。ゆえに、たとえ辞書と首っぴきだとしても、他の作品ほど解読に時間はかからない。特にこの版の場合、巻末についている詳細な注釈が非常に役に立つ。が、それはむしろ些末な話だ。本書を万人の読者に推薦するゆえんは、この本と悪戦苦闘すればするほど、その努力は必ず報われるからだ。フランス革命などに代表されるような、理想主義のもたらす栄光と悲惨という近代西欧文明の問題が、たったこれだけの分量でこれほど見事に集約されている例は空前絶後と言ってよい。その問題にしばし取り組むことによって、読者の人生がいかに豊かなものになることか。それを思えば、難解という理由だけで敬遠するのは実にもったいない。本書の焦点はずばり、ビリー・バッドとクラッガートの対決、および、ビリー・バッドの「罪」を裁くヴィア艦長の決断にある。ビリーとクラッガートの争いは、スケールこそ異なるものの、本質的には、かのエイハブ船長と白鯨の戦いと同じ次元にある。従って、あの白い鯨はいったい何を意味するのだろう、と首をひねっている人にとっても、本書は大いに参考になるはずだ。ともあれ、これは超弩級の名作である。モームは世界の十大小説に『モゥビィ・ディック』を選んでいるが、あれこそ完読するのに気力・体力・時間を要する作品である。それならいっそ、こちらの方がむしろ万人向きなのではないだろうか。