胃のほうは薬のおかげでだいぶ痛みが治まってきたのだけど、こんどはまた風邪をひいてしまい、まるで変声期のようなガラガラ声。微熱の一歩手前のような熱もある。コロナでないことを祈るばかりだ。
ともあれ、上の事情でボチボチ読んでいた Brit Bennet の "The Vanishing Half"(2020)をやっと読了。周知のとおり昨年、ニューヨーク・タイムズ紙の年間ベスト小説のひとつに選ばれた作品で、今年の女性小説賞候補作。今もアメリカでは大ベストセラーで、米アマゾンでもきょう現在、レビュー数56,110で星4つ半の評価となっている。
ぼくは年金生活者なので、予算の都合上、ふだんはペイパーバック・リーダーに徹している。だから本書も今まで来月18日の発売を待っていたのだが、ここへきて P Prize.com の予想によると、今年のピューリツァー賞の最有力候補に挙げられている。同賞の発表は来月4日。その結果が出る前になんとか本書を読んでおきたい。というわけで、例外的にハードカバーを買い求めるはめになってしまった。はて、どんなレビューになりますやら。
追記:きょう(5月4日)も P Prize.com には5月4日発表とあるのだが、先ほど同賞HPで確認したところ、6月11日に延期、というのが正式な日程らしい。お詫びして訂正します。
The Vanishing Half: Longlisted for the Women's Prize 2021 (English Edition)
- 作者:Bennett, Brit
- 発売日: 2020/06/02
- メディア: Kindle版
[☆☆☆★★★] 人種差別はアメリカ文学における永遠のテーマのひとつだが、その長い歴史のなかでも本書はすこぶるユニークな位置を占めるのではないか。黒人の被差別意識を白人コンプレックスというかたちで、ここまで本格的に描いた作品もめずらしい。しかもそれがコンプレックスであるがゆえに秘密の真実として扱われ、その秘匿性にふさわしい時代背景と舞台、人物が設定され、豊穣な物語がつむぎだされている。みごとな作劇術である。なぜ彼女は姿を消したのか。なぜ彼女は混血であることを隠したのか。21世紀の現代ならありえなかったような話が20世紀後半ということでごく自然になり、なおかつ現代に通用する、現代でも人種差別について考えるヒントを示している。たとえば、黒人の白人コンプレックスはいまだに公然の秘密なのかもしれない。なぜそこは地図にも載っていないルイジアナ州の田舎町なのか。その理由は秘匿性から生じる不安定、不確実なアイデンティティの問題とあながち無関係ともいい切れない。なぜ彼女たちは、ふたごだったのか。「ふたごとは、異なると同時に同じ存在」である、と姉はいう。ふたごにかぎらず、ひとはたえず微妙に、時には劇的に変化しながら、同時にまた不変の要素をも兼ねそなえている。こうした矛盾に満ちた存在の典型が「消えた片方」なのだ。白人コンプレックスを軸にすえることで差別問題が「不安定、不確実なアイデンティティの問題」へと発展するところに本書のユニークさがある。これに付随して、姉の恋人が失踪人探しをなりわいとし、彼女の娘の恋人がトランスジェンダーで、妹のほうの娘が「自分は自分」と虚勢を張りながら「自分探しの旅」に出かけるなど、準主役にいたるまで、なんらかのかたちで人間存在の問題に関与、小説としてのふくらみを増している。なぜ彼女たちは、いや人間は自分というものにこだわるのか。その自己とは認識すべき実像なのか、追求すべき理想像なのか。本書を読んだだけでは答えが見つからない疑問点ものこるものの、これはこれで構成上じゅうぶんに計算された秀作である。