ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2013年ピューリッツァー賞「候補作」(2013 Pulitzer Prize “Finalists”)

 まず、"A Hologram for the King" の落ち穂拾いから。きのうはネクラな話になってしまったので、きょうは同書に出てくる爆笑物のジョークを紹介しておこう。ぜんぶで6つあるうち、知り合いのアメリカ人とオーストラリア人にお気に入りを選んでもらったところ、2人の意見が一致したのが次のジョークである。
A husband and wife are getting ready for bed. The wife is standing in front of a full-length mirror taking a hard look at herself. 'You know, dear,' she says, 'I look in the mirror, and I see an old woman. My face is all wrinkled, my hair is grey, my shoulders are hunched over, I've got fat legs, and my arms are all flabby.' She turns to her husband and says, 'Tell me something positive to make me feel better about myself.' He studies her hard for a moment, thinking about it, and then says in a soft, thoughtful voice, 'Well, there's nothing wrong with your eyesight.' (p.114)
 さて、この本もふくめ、PPrize. Com では毎年恒例のピューリッツァー賞「候補作」を発表している。今年も全15作のノミネートだが、顔ぶれを見ると、半分近くは昨年の全米図書賞の受賞作と候補作、それに、まだ発表されていない2012年の全米批評家協会賞の最終候補作である。それから、Toni Morrison や Joyce Carol Oates, John Irving, Anne Tyler といった有名作家の新作だろうか。
 なんだか安易なリストのような気もするが、とりあえず紹介しておこう。既読のものについてはレビューを再録しておきます。

Billy Lynn's Long Halftime Walk: A Novel

Billy Lynn's Long Halftime Walk: A Novel

[☆☆☆☆] 膠着状態におちいったイラク戦争を背景に、戦争の大義の虚妄と、大義を信じたがる軽佻浮薄な一般国民、その偽善と大衆ヒステリーを痛烈に諷刺した反戦小説。彼の地でめざましい戦果をあげた青年兵ビリーたちブラボー分隊の面々が一時帰国、ブッシュ政権選挙対策に駆りだされ、全米の主要な都市を凱旋ツアー。その終点ダラスでおこなわれるアメフトの試合のハーフタイム・ショーに、なんとビヨンセたちともども出演することになる。女優が主役を演じる映画化の話ももちこまれるなど、終始一貫、ナンセンスなドタバタ劇の連続だが、ビリーたちを賞賛する人びとの声や、反テロ戦争の正義を訴える試合前のアジ演説などと平行してコミカルなエピソードが盛りこまれるうちに、上記の諷刺の意図が明らかになる。圧巻はやはりハーフタイム・ショー。ド派手な光と音の饗宴は本書における茶番の総決算であると同時に、イラク戦争アメリカ国民の大衆ヒステリーを象徴する壮大な狂騒劇となっている。口語や俗語を駆使した、すさまじいパワー全開の文体に圧倒され、ビリーとチアリーダーのお熱いシーンもあって大いに楽しめるし、ほろっとさせられる結末もいい。が、いささか気になる点もある。諷刺とは、鋭い批判精神と深い真実の洞察から成り立つものだが、本書の場合、戦争が「生と死の究極的な問題」であり、また「愚劣な死の大量生産」であるという認識が諷刺の根拠となっている。一面の真理ではあるが、たとえば、悪の座視は悪であるとか、正義と正義の衝突が戦争であるといった側面はえがかれない。〈正義病〉にかかったアメリカ人の幼児性も諷刺の対象となっているが、幼児の軽薄を嗤うためには大人の知恵を有していなければならない。が、ものごとのあらゆる面をとらえるのが大人の知恵ではないのか。ある一面を戯画化して笑いのめすのが諷刺である点を考慮しても、本書の諷刺は一面的に過ぎる。戦争を真剣に諷刺するには、人間がついに天使たりえない不完全な存在であるという洞察が必要である。そうした悲劇的な人間観が欠けているがゆえに、本書に心から感動することはできない。英語は日本の一般読者にはなじみの薄い俗語表現が頻出するが、いったん流れに乗ってしまえばけっこう読める。
A Hologram for the King

A Hologram for the King


[☆☆☆★★★] 「俺は誰だ」「私はなぜここにいるのか」――だれでも一度は駆られる疑問かもしれないが、本書はこの定番の問題をきわめて現代的に、かつコミカルに扱った秀作である。昔は羽振りがよかったものの、いまや自己破産寸前の経営コンサルタントが起死回生をかけ、サウジ国王にホログラムによる会議システムを採用してもらおうと、彼の地で建設中の大都市に乗り込む。が、国王はいっこうに姿を見せず、プレゼンテーションは延期につぐ延期。そもそも都市建設そのものが進んでいない。このカフカ的状況が、こっけいなエピソードや爆笑物のジョークもまじえて描かれると同時に、主人公の失敗したビジネスや破綻した結婚生活の回想、健康への不安、一人娘への思いなどがフラッシュバック。そこから孤独な現代人の実存の不安がうかびあがる。この笑いとシリアスな問題の配合が絶妙で、どんどん先を読みたくなる。濡れ場もあって楽しんでいるうちに、ふと流れこんでくる人生の悲哀にしんみり。虚無の深淵に頭をかかえこむ。人生は不条理で、かつ、おもしろおかしい。おかしいから不条理なのか、不条理だからおかしいのか。そんなラチもないことを考えてしまった。英語は標準的で読みやすい。
The Round House: A Novel

The Round House: A Novel


[☆☆☆★★★] コアにあるのは少年の通過儀礼だが、20世紀末に近い当時、ネイティブ・アメリカンが法律的にしいられていた差別の現実を踏まえたものだけに、通常の青春小説とは異なる重みがある。舞台はノースダコタ州の田舎町。居留地に住む少年ジョーの美しい母親が何者かにレイプされ、開巻からいきなり息づまるような緊張の連続だ。やがてジョーは友人たちともども事件の解明に乗りだし、さながら少年探偵団のようで楽しい。傷ついた母親をめぐる重苦しさと少年たちのドタバタぶり、ジョーの少年らしい正義感と、巨乳の叔母に示す性的関心といったコントラストがじつに絶妙。祖父が眠りながら物語る部族の伝説や、先住民の伝統的な生活風景、マジックリアリズム的な逸話も混じり、重層的な作品に仕上がっている。家族の愛、少年たちの友情、人間同士の信頼をそれぞれモチーフにしたエピソードが複雑にからみあっていくうちに、やがて厳然たる差別の現実が示され、ジョーは驚くべき通過儀礼の行動に走る。これが最大の山なのだが、その後、恋愛がからんで定番の青春小説らしくなりボルテージが下がったのが残念。英語は語彙的にはむずかしめだが緊密な美しい文章である。
Magnificence

Magnificence

The Orphan Master's Son: A Novel (Pulitzer Prize for Fiction)

The Orphan Master's Son: A Novel (Pulitzer Prize for Fiction)

  • 作者: Adam Johnson
  • 出版社/メーカー: Random House Trade Paperbacks
  • 発売日: 2012/08/07
  • メディア: ペーパーバック
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[☆☆☆☆] かつては「地上の楽園」と信じる人びともいたが、秘密のベールにつつまれながらも今や独裁国家であることが明らかな北朝鮮。小説でも恐怖の現実がえがかれるのは当然だが、本書にはいくつか〈想定外〉のユニークな設定がある。まずこれが名画『カサブランカ』の本歌取りとなっている点だ。開巻、工作員による日本人の拉致というショッキングな事件に絶句。脱北した漁民の美しい妻と工作員のふれあいに情感がこもり、しんみりとなるが、驚いたことに第2部ではその工作員が軍司令官となっている。その変身のいきさつが彼自身の行動記録、「司令官」を取り調べる尋問記録、そして「司令官」の物語を流す国営放送という3次元中継で次第に明らかにされる。この複雑な語りの構造と、第1部もふくめた彫りの深い人物造形がじつにみごとだ。また、国民的女優でもある「司令官」の妻が「これは夢なのか」と洩らすように、現実がフィクションと融合し、マジックリアリズムの世界に近づいている点も見逃せない。全体主義の体制では〈不都合な真実〉は隠蔽され、真実の代わりにフィクションが真実となる。全体主義の現実とは、まさにマジックリアリズムの世界なのである。そのことを端的に物語る漫画チックな結末はケッサクというしかない。しかも、心臓バクバクものの緊張がピークに達した瞬間、北朝鮮版『カサブランカ』であることがわかる設定の妙。「秘密のベールにつつまれ」た国を舞台に、よくぞここまでフィクションを組み立てたものと大いに賞賛したい。難語も散見されるが英語は総じて読みやすい。
The Yellow Birds: A Novel

The Yellow Birds: A Novel


[☆☆☆★★] イラク戦争の最中、戦友を亡くした青年兵士の回想記。イラク北西部の街周辺でおこなわれた戦闘の模様と、訓練中から除隊後までの話が交互に進む。即物的に淡々と、あるいは相当な迫力をもって戦争の現実がえがかれる一方、時には意識の流れに近い技法を駆使しながら、青年兵の脳裏にうかぶ数々の思いが綴られる。砲弾が炸裂して死者が出る場面などリアルで息をのむばかりだが、基調にあるのは戦争の不条理や悲惨さで、あえて不謹慎な言い方をすれば〈想定内〉。死んだ戦友の母親と青年兵のやりとりも、痛切ではあるが定石どおり。帰国後、ふと戦場の記憶がよみがえり、亡き戦友への思いに胸をえぐられるところもまたしかり。つまり、これはイラク戦争が題材である点を除けば、どの場面をとっても従来の戦争小説とほとんど変わらない。それどころか、イラク戦争と聞いて思いうかぶイメージどおりの作品に仕上がっている。ただし、緊張感のある簡潔で、時に芸術的に入り組んだ文体は大いに評価したい。難語も散見されるが英語は総じて読みやすい。
This is How You Lose Her

This is How You Lose Her


[☆☆☆★★] 男が女と出会って関係し、そして別れる。よくある話だが、これはアメリカに住むドミニカ移民の男の失恋遍歴集。ユーモアをまじえた軽妙で活発、テンポのいい文体にまず惹きつけられる。主人公が読者に語りかけたり、逆に主人公を2人称で呼んだりすることで、失恋につきものの感傷が適度に抑制され、さりげなく描かれる別れのつらさに鋭いえぐりがある。ほかにも、若死にした兄との陽気なバトル、常夏の国から出てきた当初のカルチャーショック、移民生活や人種差別の現実など、いろいろな話題がいろいろな恋愛といりまじり、同じ主人公の連作短編集といったおもむきだ。読み進むうちに、貧しい移民の少年が才能を認められ大学を卒業、作家活動のかたわら大学で教鞭をとる、という大きな人生の流れが見えてくる。いわばサクセス・ストーリーのはずなのに、ふりかえればほろ苦い思い出ばかり。それを軽くあっさり、おもしろおかしく綴った佳作である。なじみの薄い口語や俗語にくわえてスペイン語も頻出するが、文脈から推測できる場合も多いので鑑賞には困らない。
Blasphemy: New and Selected Stories

Blasphemy: New and Selected Stories

The Beginner's Goodbye: A Novel

The Beginner's Goodbye: A Novel


[☆☆☆★★] 妻が死後1年たって生きかえり、夫の前に姿を現わした、というショッキングな出だしだがオカルト小説ではない。真相はともあれ、その驚くべき事件をきっかけに、夫は妻との出会いや結婚生活のことを回想する。一方、ふだんは口やかましい姉をはじめ、友人や隣人、会社の同僚などが何かと気を配りだす。夫婦愛をテーマにしたアン・タイラー十八番の家庭小説だとすぐにわかるのが難点だが、涙を禁じえない場面でも甘ったるさがなく、感情を抑えた筆致がすばらしい。それだけになおさら、妻を思う夫の心情がしみじみと伝わってくる。よみがえった妻がゴーストかどうかはさておき、こんなお話を読むと心がなごむ。まさにハートウォーミングな佳作である。英語はごく標準的で読みやすい。
Home (Vintage International)

Home (Vintage International)

[☆☆☆★] 巨匠が確かな計算のもと、さらりと書いたノヴェラ。舞台はジョージア州の田舎町で、固い愛情で結ばれた黒人の兄妹が主人公。兄の独白と2人の客観描写が交錯するうち、それぞれの過去の痛ましい体験が次第に明らかになる。朝鮮戦争で戦友の死と直面し、みずから恥ずべき行為に走った兄。その兄のほかは誰も頼る相手がなく、他人の意のままに生きて身体をこわしてしまった妹。そんな2人が久しぶりに再会し、故郷で昔の事件に終止符を打つ。戦争や人種差別の現実を反映した各場面に強烈な感情が静かにたたえられ、それが時にほとばしるという静と動のコントラストがみごと。トラウマを超え、決意新たに生きようとする兄妹の姿も感動的だ。凝った叙述形式の旧作とくらべると物足りないが、ひと筆書きのような至芸を楽しめるとも言えよう。英語はブロークンな会話表現も混じるが読みやすい。
San Miguel

San Miguel

IN ONE PERSON

IN ONE PERSON


[☆☆☆★★] 神ならぬ人間に完全な愛はなく、それゆえ完全な相手や伴侶もいない。ところが人間はそのことに満足できず、至上の愛を、最高の相手を求める。そこに悲劇が生まれ、喜劇も生まれる。この古びたテーマが小説巧者アーヴィングの手にかかると、かくも新鮮な味わいを帯び、かくも現代的な問題として迫ってくるものかと、まずそのことに感心する。おもな舞台はヴァーモント州の田舎町。老作家が1960年代初め、全寮制の男子校の生徒だったころの回想をはじめる。例によってドタバタ調のコミカルなエピソードが連続し、またシェイクスピアやジェイムズ・ボールドウィンなどの作品が巧みに挿入されるうち、次第に主人公ウィリアムの禁断の性癖が明らかになる。彼は町の図書館の美人司書にひと目ぼれしたかと思うと、先輩のレスリング部の少年にもあこがれるバイセクシュアルだったのだ。以後、男女とりまぜウィリアムの性的体験の相手が次々に登場し、やがて中盤、前半では伏せられていた人物関係が一気に明らかにされる。このあたり、笑いを禁じえない悲劇ということでアーヴィング節、絶好調だ。それが後半、エイズの話題が中心になると深刻な様相を呈するものの、そこでもコメディー調を忘れず狂騒劇となるところがアーヴィングらしい。エキセントリックな人物が登場し、奇想天外な物語が進行するうちに上記のような文学的テーマが示される、といういつものパターンだが、旧作とくらべると奇想が足りず、ホモ・レズ話の連続に食傷するのも難点。とはいえ、バイセクシュアルゆえの悩みに人間存在の問題が誇張して描かれている点が秀逸である。英語は医学用語など語彙的にはむずかしめのわりにテンポがよく読みやすい。
Schmidt Steps Back

Schmidt Steps Back

Mudwoman

Mudwoman

Canada

Canada