これはすごい小説だ! 読めば読むほどハマってしまう。
とはいえ、本書は一種のスパイ小説(いま読んでいるところは冒険小説)であり、ネタを割りすぎないようにしないといけない。きょうは当たり障りのないことだけ書いておこう。
本書に関連する昔の小説や映画の話でお茶を濁しているうちに、いやはや驚いた。なんと実際、本書でもヴェトナム戦争の映画が話題にのぼり、その製作現場に主人公のスパイ(表の身分は旧南ヴェトナム軍大尉)が技術顧問として立ち会うことになったのだ。
ロケ地は『地獄の黙示録』と同じく、フィリピンのルソン島。時代もやはりマルコス大統領時代。Viet Thanh Nguyen は当然、あのコッポラ作品を念頭においてこのくだりを書いたことだろう。
事実、有名なド・ラン橋陥落のシーンを思わせる爆破場面が出てきたところで、あ、これは『地獄の黙示録』のノリだと気がついた。あの映画のセットもこうやって作ったんだろうな、という雑学的な知識も得られて得点アップ。
それより興味ぶかいのは、ハリウッド映画が 'a work of propaganda,' 'the launcher of the intercontinetal ballistic missile of Americanization' としての機能を果たしているという主人公の指摘だ(p.166)。 'Movies were America's softening up the rest of the world, Hollywood relentlessly assaulting the mental defenses of audiences with the hit, the smash, the spectacle .... It mattered not what story these audiences watched. The point was that it was the American story they wached and loved ....'
ついで、本書に出てくる映画監督 the Auteur は自作についてこう宣言する。'A great work of art is something as real as reality itself, and sometimes more real than the real. Long after this war [the Vietnam War] is forgotten, when its existence is a paragraph in a schoolbook students won't even bother to read, and everyone who survived it is dead, .... this work of art will still shine so brightly it will not just be about the war but it will be the war.' (p.172)
ぼくは前々回、ヴェトナム戦争を描いたアメリカ映画の特色として、「戦争の狂気や不条理、残虐性に焦点を当てたものが多い」と、月並みな感想を今さらのように述べたばかりだが、それを上の文脈に当てはめるとじつにおもしろい。
『地獄の黙示録』などのヴェトナム戦争映画が Americanization の一環として、しかもそれが戦争の記憶以上に長く永久にのこるプロパガンダ映画として製作されたのだとしたら、上記の特色に象徴されるような反戦思想とはいったい何だったのだろう。
むろん、上のくだりを作者自身の意見表明と考えることは早計にちがいない。が、少なくとも、へえ、そういう見方もあったのか、と気づかされることはたしかだろう。それはひょっとしたら、ヴェトナム人ならではの発想なのかもしれない。
(写真は、宇和島市辰野川に面した選佛寺)