まず表題作の続きから。前々回ふれたように、ぼくは Jesmyn Ward の旧作 "Salvage the Bones" が2011年の全米図書賞受賞作であることも、自分がそのレビューを書いたこともすっかり忘れていた。そこで、一体どんな作品だったのだろうと、当のレビューを読み返してみた。
書き出しはこうである。「疾風怒濤の青春時代を描いた小説といえば、ある一定の筋書きが思いうかぶものだが、本書はメッセージもふくめて定石どおり。主人公の心中の嵐と対応して、実際にもハリケーンが吹き荒れる点が目新しいくらいか」。
なるほど。なんとなく思い出した。で、もしこの寸評が的を射ているとしたら、Ward としては今回、長足の進歩を遂げたことになるのではないか。家族の死という定番のテーマに対し、果敢にマジックリアリズムの技法を試みてかなり成功しているからだ。
むろん、マジックリアリズムそのものは「ガルシア=マルケスなどの洗礼を受けた目で見ると決して斬新な技法ではない」。が、家族の悲劇への「定石どおり」のアプローチとは言えないだろう。
レビューでは割愛したが、Jojo と母親の Leonie、父親の Michael、そして祖父の4人をめぐる心理的な対立はじつにきめ細かく描かれている。Leonie は黒人だが Michael は白人であり、ふたりの両親もふくめて本書の人物構成は、複雑に入り組んだアメリカ社会の縮図となっている。そのあたり、いかにも national な小説である点が全米図書賞(National Book Award)にふさわしいと判断されたのかもしれない。
そして何よりぼくが心を打たれたのは、Jojo の幼い妹 Kayla の描き方である。Kayla が Jojo に「まとわりつく姿は、たまらなく切ない」。
そんなお膳立ての中でマジックリアリズムが導入されているのだから、「定石どおり」の小説で終わるはずがない。実際、★をひとつ追加すべきかどうか、ぼくは最後まで迷ってしまった。
ところで、本書は11月30日付の New York Times 紙によると、毎年恒例の The Best 10 Books の小説部門に選ばれている。今年はベスト5小説のうち、たまたま4作も読んでいたので、レビューを再録しながら紹介しておこう。
[☆☆☆★★]
スコットランド独立や、移民の増大、
EU離脱など、国論を二分する問題でゆれ動くイギリス。かつての
大英帝国の栄光は残滓すらとうに消え、いまや冬の時代を迎えつつあるかもしれぬ時期、つまり秋。本書に散見されるイギリス
現代社会への風刺は、そうした〈秋の時代〉を描いたものだろう。このとき、百歳を超えた老人ダニエルが療養所でこんこんと眠りつづけている。そのダニエルを足繁く見舞う
若い女エリザベス。本書は、エリザベスの幼い娘時代にはじまるふたりの交流と、混乱に満ちた現代、さらには、美術史専門の学者である現在の彼女がとらえた1960年代の状況を織りまぜ、駆け足でイギリスの最近50年史を総括した作品である。少女と老人のふれあいはハートウォーミング。お役所仕事にキレた女の奮闘ぶりはユーモラス。
ポップアートの説明はリズミカル。三つあわせて文学的コラージュそのものといえよう。最後、冬の初めに咲いた美しいバラは、作者が祖国にたいしていだく、かすかな希望を象徴しているのかもしれない。
[☆☆☆★] いまや先進国の
移民問題には、適切な解決策はないのかもしれない。本書は近未来のSF的な設定により、移民と先住民の対立を先鋭化させることで、現代の深刻な状況を浮き彫りにしたものである。ある無名の街に突然出現したドアを抜けると、ドバイへ、ロンドンへ、サンフランシスコへと瞬時に移動。政府軍と過激派の戦闘が絶えない街から、恋人たちは安住の地を求めて必死の脱出劇を繰りひろげる。それがサスペンスに満ちて快調そのものだ。大量の移民
流入によりイギリスは極度の分裂状態、虐殺の危機が迫り、正義の意味が問われる一方、当初は仲むつまじかったふたりにも不協和音が生じる。こうした不穏な情勢と不安な心理の
コントラストはとても鮮やかで座布団一枚。が、シスコへ飛んだあたりから少々散漫な展開になる。愛する者との別れを経験し、喪失の悲しみを共有することで、立場の異なる人びとの絆が深まるという指摘は傾聴に値するものの、むろん
移民問題の抜本的な解決にはならない。祈ることしかできないという嘆きも当たり前。そんな状況で恋人たちの関係がどうなるかも知れたこと。快調な滑りだしだっただけに、うやむやな結末に不満がつのる。
[☆☆☆★★] 近
未来社会を舞台にしたSF仕立ての男女抗争劇。
アメリカやアフリカ、中東など世界各地で突然、超能力をもった十代の少女が現われ、その電撃的なパワーでワルい男どもを撃退。やがて成人女性もスーパーウーマンとなり、暴徒化した猛女軍団と治安部隊との衝突を通じて次第に男性優位の社会が根底から揺らぎはじめる。複数の女が交代で主役をつとめ、それぞれ緊迫した場面を語りつぐスピーディーな展開は凄絶の一語。女性による逆差別、男性テロリストの襲撃にはじまる反乱とその鎮圧など、ますます
エスカレートする事態と平行して、女同士の個人的な対立抗争も劇的に描かれる。が、当初からイマイチもの足りない。いまなぜ
ウーマンリブ小説なのか、という説得力に欠けるからだ。社会的には依然、男女の不平等を是正する意味があるとして、それを文学の世界で訴えるなら、まず人間はそもそも平等な存在なのかと問いかけてはどうか。たとえば能力差はもちろん、迫害という名の不平等がある。神の前の平等、法のもとの平等というが、宗教や民族・国家が異なれば相手を軽蔑し、異端視する例はあとを絶たない。おのれを優位と見なすのは人間の本質かと思えるほどだ。とそんな思索でなくてもいいが、とにかく平等の問題についてあれこれ考えたうえでの
ウーマンリブ小説。それなら本書の豊かな物語性に必然性と深みが増したのではないかと愚考する。終盤、泥沼化した抗争劇を通じて、理想から虐殺が生まれるという人間の悲劇性が示されるものの暗示だけ。ゆえに薄味で尻すぼみ。話を広げすぎて収拾がつかなくなった作品といえそうだ。
[☆☆☆★★] 家族の死。それはジョージ・スタイナーの悲劇論から離れれば、現代における最大級の悲劇と言えるかもしれない。と同時に、それは
ギリシャ悲劇の時代から語り継がれてきた永遠のテーマでもある。この古くて新しいテーマを現代の作家はどう描けばよいのか。本書は、その答えのひとつである。舞台は
ミシシッピ州の田舎町。黒人の老婦人が死の床についている。その娘と孫息子のジョージョーが交代で
語り部となり、そこへときどき亡霊の声が混じる。娘には亡き兄の姿が見え、ジョージョーは伯父のほか、祖父が若いころに死別したはずの友人も目にする。各人の回想にくわえて亡霊たちの登場により過去と現在が交錯する
マジックリアリズム。それが上の答えなのだ。ガルシア=
マルケスなどの洗礼を受けた目で見ると決して斬新な技法ではないが、本書の場合、その試みはかなり成功している。祖母の死はもちろん、それを契機に過去の死者がよみがえることで一家の悲しみが深まり、死者とのふれあいを通じて自分の立場、家族の絆を思い知らされる。幕切れで、亡霊たちに囲まれながらジョージョーの幼い妹が歌を唄うのは全編の象徴。その妹がジョージョーにまとわりつく姿は、たまらなく切ない。