ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Sally Rooney の “Normal People”(2)

 この連休中、法事で福井に出かけた。あいにく雨模様だったが、宿泊した芦原温泉近くの東尋坊を訪れたときだけ、さいわい晴れ間がのぞき、初めて見る奇観に文字どおり目を奪われた。

 タクシーの運ちゃんの話によると、サスペンスドラマの帝王も女王もまだ東尋坊には来たことがないという。それだけ福井は事件がない平和なところなんです、と運ちゃんは笑っていたが、それを聞いたぼくも家族もヘエっ。みんなてっきり、帝王も女王も毎度おなじみの地とばかり思い込んでいた。
 で、この思い込みというやつが、本書 "Normal People" におけるノーマル、アブノーマルの基準ではないだろうか。しかもそれは非常に曖昧なもので、たとえばクラスメートのみんなが、あいつはちょっと変わったやつだ、まともなやつだと言えば、なるほどそうかと自分も思う。つまり、「ある人物がまともか否かを決めるのはすべて、家族や友人のあいだで暗黙のうちに成立しているコンセンサス。その実態は曖昧な気分にすぎない」。
 けれども、ほんとうはこのノーマル、アブノーマルという問題は「神なき現代においては、すこぶる興味ぶかい問題のはずだ」。きのうの常識はきょうの非常識、彼らの常識はわれらの非常識、日本の常識は世界の非常識、といった時代や世代、民族や国家における価値観の相違が今日ほど痛切に感じられ、その衝突がいまほど深刻な事態を招いている時代はかつてなかったように思う。
 というのは大げさかもしれない。人間は昔からそうだった。ナザレの人はユダヤの律法学者からすれば異端者であり、ソクラテスアテナイで裁判の結果、死刑を宣告された。古代から現代まで戦争が絶えたこともなかった。
 などと大風呂敷を広げるとボロが出るので総論はおしまい。とにかく、ぼくは normal people とは一体どんな人々だろうと興味津々で本書に取りかかった。結果は上のとおり、期待外れ。
 青春小説としては、まずまずといったところかな。だから、ぼくのように重箱の隅をつつかずに読めば、それなりに面白いと思います。
 とはいえ、いま寝床で読んでいる住野よるの『君の膵臓をたべたい』のほうが、正常と異常のからみ合いという点で、ずっと面白い。さらに言えば、次回補足しようと思っている Anna Burns の "Milkman" のほうが断然いいです。