ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Anuk Arudpragasam の “A Passage North”(2)

 Anuk Arudpragasam はスリランカ出身の若い作家で、表題作(2021)の前のデビュー作 "The Story of a Brief Marriage"(2016)は、毎年優秀な新人作家に与えられる Dylan Thomas Prize の最終候補に選ばれた。
 などと知ったかぶりで書いたけど、もちろん読後に仕入れた知識である。取りかかってしばらくして、スリランカが舞台の小説にお目にかかるのは初めてかも、と気がついた。スリランカ、前期高齢者のぼくには、セイロンというほうがしっくりくる。
 ともあれブッカー賞の楽しみのひとつは、旧大英帝国、つまり、ざっくりいって世界各国の作品、それもおそらくは秀作佳篇が読めることだ。近年はアメリカ馬も参戦するようになり、文字どおり世界有数の文学賞レースとなった。今年も最終候補作のひとつ、Richard Powers の "Bewilderment"(未読)が、全米図書賞でも一次候補作に選ばれている。
 その "Bewilderment" とならんで "A Passage North"(☆☆☆★★)、それから Damon Galgut の "The Promise"(☆☆☆★★★)が、現地ファンの下馬評によれば、どうやら三つどもえでブッカー賞レースを争っているようだ。これが第一集団で、のこりの三作から受賞作が出れば番狂わせということらしい。たまたま6番人気の "Great Circle" が手元に届いたばかりだけど、タイトルどおりのデカ本であまり読む気がしない。
 さて肝腎の "A Passage North" だが、この北帰行、意訳すれば「心の旅」である。主人公の青年 Krishan は、葬儀に参列するため、スリランカ南部の大都市コロンボから北部の小村へと向かう車中でこう述懐する。.... he'd traversed not any physical distance that day but rather some vast psychic distance inside him, .... he'd been advancing not from the island's south to its north but from the south of his mind to its own distant northern reaches.(p.205)
 そんな心の旅の途中、Krishan が考えたことども、それが本書というわけだ。よくある設定だが、ここで留意すべきは Krishan が言語的には、作者とおなじくタミル語族に属していることである。これまた読後に仕入れた背景知識だが、スリランカでは1983年から2009年にかけて、分離独立を目ざすタミル人のテロ組織と政府軍とのあいだで激しい内戦が繰りひろげられたらしい。本書でもその概略と余韻が記述されている。
 ぼくはこの点を踏まえ、レビューをこう締めくくった。「自分がここにこうしているのは、あのときあの道を選んだからではないか。そうした自分史一般へと誘われつつ、彼の国では個人の運命と多民族国家の宿命が重なることに嘆息せざるをえない」。
 余談だが、本書の前にたまたま読んだ作品は、一次候補作 Rachel Cusk の "Second Place"(☆☆☆★★)だった。おかげで本書に取りかかったとき、気がついたことがある。両書とも、主人公はそれぞれ「終始一貫、自分の内面に深く分けいって魂の奥底を見つめ」ているのではないか。つまりアイデンティティの確認というか、心の旅というか、とにかく内向きの姿勢である。これはひょっとしたら、外出自粛を余儀なくされているコロナ禍にあって、最近の文学のひとつの傾向かもしれない、と思ったのだが真相はどうでしょうか。

(写真は、高知県四万十川の岩間沈下橋とその周辺。3枚の写真を合成したもの)

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