ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Khaled Hosseini の “The Kite Runner”(1)

 Khaled Hosseini の大ベストセラー "The Kite Runner"(2003)を読了。周知のとおり、これは2007年に映画化され日本でも公開されている。邦題は『君のためなら千回でも』。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆☆]「難民文学」というジャンルがもしあるとすれば、20世紀後半から今世紀にかけて、アジア・アフリカ諸国で発生した戦争や内戦を扱った作品が多いようだ。激動のアフガニスタン現代史を背景にした本書も例外ではないが、ほかの難民物語とは決定的に異なる点がひとつある。主人公アミルが逃れようとしたのは戦争の災禍ではなく、少年時代にみずから犯した道徳的な罪だったのだ。嘘、裏切り、その隠蔽。こうした罪はしかし、もとより逃れうるものではなく、アミルは渡米後、成人してからも良心の呵責にさいなまれつづける。本書は彼の道徳的煩悶劇であり、この激しい心のドラマにおいては、ソ連軍の侵攻やタリバンによる支配といった歴史的大事件でさえ、極論すればBGMにすぎない。(ただし、そのBGMが鳴りひびく暴力シーンは凄絶)。アミルはまた、罪人の自分とは対極にある善人ハッサンを敬して遠ざけ、彼我の落差に落胆している。彼はどうしてさほどに純真で誠実なのか。アミルはハッサンを、つまりは善なるものを熱烈に愛するがゆえに、絶望の底に沈まざるをえない。その彼に救いはあるのか。罪は「もとより逃れるうるものではない」というのは真実か。刊行から20年近くたったいま、タリバン復権するなど政治情勢は激変しているが、本書の内容はいっこうに古びていない。道徳的煩悶という古くて新しい、人間にとって永遠の課題が提出されているからだ。それでいて理に落ちず、文字どおり波瀾万丈、愛と友情、涙の感動巨篇に仕上がっている点は驚嘆に値する。しかしながら現実の歴史の流れはじつに厳しい。その遠因をさぐる意味でも有益な作品であろう。