今月初め、本ブログを更新しようと思ったところで急用が入り、その後なにかとバタバタしてしまい、ほとんど読書から遠のいてしまった。師走とはよく言ったものですな、べつに師でもなんでもないけれど。
それでも先ほど年賀状を出しおわり、やっと一段落ついたところ。途切れ途切れに読んでいた Orhan Pamuk の "The Black Book" を早く片づけないと。なんだか印象がぼやけてしまったが、密度という点では、かの "My Name Is Red"(☆☆☆☆★)をしのぐかもしれない。ストーリー性では明らかに落ちるものの、そんなものはハナから度外視した作品づくりになっていることもまた明らかだ。両書あわせて Pamuk 版 "The Red and the Black" ってことでしょうか。
ともあれ書きかけた更新記事は、今年のブッカー賞最終候補作、Nadifa Mohamed の "The Fortune Men" の落ち穂ひろい。ブッカー賞発表から1ヵ月以上もたち、すっかり間のぬけた話題になってしまった。
ぼく自身の記憶を鮮明にするため、レビューの前半を再アップしておこう。「神の裁きに間違いはありえないが、神ならぬ人間の裁判では、悲しいかな、時として誤審が起こる。まして1950年代のイギリスで黒人が被疑者となった場合には、冤罪の確率は相当あったのではないか。とそう推測したとたん、本書はテーマも結末も序盤で見える、見えた気がしてしまう。これは小説として大きなハンディである。このハンディを作者はいかに克服するか。物語にどんな肉づけをして、予想外の展開とテーマの深化を図るか。こうした観点から判断すると、本書はかなりがんばっているが、いささかもの足りない」。
そこで思い出したのだけど、ぼくは本書を読んでいる途中ひそかに、ある結末を期待していた。ネタは明かせないが、大どんでん返しがあればいいな、と思ったのだ。
ところが、フタをあけると「手堅い構成だが定石どおり」。ありていに言うと、序盤で見えたとおりの結末になってしまったのである。なぜか。
未読のひとがいることを考えると、これまたネタは割れないのだけれど、ううむ、どうしようかな。本書で扱われている冤罪事件が実際にあったものであり、その事実を無視してまで面白い話にはできなかったから、というのが、差別テーマで「斬新な物語をつむぎだせなかった理由」です。てなところでギリギリ、セーフかな。
もしこれが純粋なフィクションだったら、はちゃめちゃな物語に仕上げることも可能だったろうに、と思ったものでした。残念。
(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。皆川達夫氏著、旧版『バロック名曲名盤100』ではレコード廃盤としるされていたが、最近CD化されていることを知りゲット。この季節、シュッツの「クリスマス・オラトリオ」は、バッハのものと並んで愛聴している)