ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Black Book" 雑感

 きょうは "Fingersmith"(2002)の落ち穂ひろいをしようか、とも思ったのだけど、Sarah Waters はもうすぐ "Affinity"(1999)を読む予定。実際取りかかったときにでも思い出してみよう。
 その前にまず表題作を片づけないと。やっとまた読みはじめたのだけれど、中断前とおなじくカタツムリくん。なかなか先へ進まない。
 ゆうべはこんなくだりが目にとまった。In my daydream I had just dignified my haughty speech with the words As Voltaire says ... when suddenly I saw where I had landed myself in so doing. It suddenly seemed to me that the man I imagined as the thirty-fifth Ottoman sultan was not me but Voltaire ― not me but a Voltaire impersonator.(p.425)
 これは本書の主人公、イスタンブール在住の弁護士 Galip が見つけた "The Story of the Crown Prince" という物語の一節である。つまり劇中劇で、上の「私」は Galip ではなく Prince。その Prince の言葉を記録しているのが書記官で、書記官は Prince の考えをこうまとめている。Was it right for a sultan who ruled over the lives of millions to be walking around with another man's sentences wafting around in his head? .... If a man's head was a nightmarish swarm of other people's thoughts, was he a sultan or a shadow?(Ibid.)
 ぼくはこれを読んだ瞬間、思わず自分の来しかたを振り返らずにはいられなかった。この1年間にかぎっても、まず映画の話だが、いちばん印象にのこっているのは『晩春』をはじめ、何本か観なおした小津作品。どれも定評のあるものばかりで、その定評どおりに感動したにすぎない、という気もする。感動したのは not me but a film critic impersonator かもしれない。

 つぎに音楽。たまたま読んだ去年のギラー賞受賞作、"How to Pronounce Knife" に "Randy Travis" という短編が収められていたので、Randy のほか、Kenny Rogers, Garth Brooks なども聴いてみたけれど、ゲットしたCDはこれまた定番のものばかり。カントリーの奥深い世界をかいま見ただけで、そこへ自分の耳でわけいっていこうとは思わなかった。
 いちばん聴いたのはクラシックだが、作曲家のABC順に、Albeniz から Weber まで聴きながら買い足したCDはすべて、名盤のほまれ高いものばかり。名盤は退職前にじゅうぶん買い込んでおいたはずなのに、調べてみると、それまで頼りにしていた評論家のA先生やB先生の推薦盤以外にも名盤がたくさんある。新しく買ったものを聴き、ううむ、これもいいなあ、と思ったものだけど、よく考えると、そう聴いているのはいったいだれの耳? ここでも感動しているのは not me but a CD reviewer impersonator なのかも。
 とはいえ、兼好法師のいうとおり、「少しの事にも、先達はあらまほしき事なり」。退職後にハマったジャズにいたっては、当初はガイドブックがなければハマりようもなかった。いまでこそ、Miles Davis の "Sketches of Spain" は眠いよね、などと名盤にケチをつけることもあるけれど、そんな自分の好みができるのにも先人の耳は必要だった。
 最後に本の世界。いちおう、自分の頭で考え、自分なりに感想を述べているつもりではあるのだが、ああ、亡き某先生なら歯牙にもかけないだろうな、とか、べつのまた亡き某先生なら、こんなところがお気に召すだろうな、などと思ったりすることもある。ぼくにはやはり、先人の頭が不可欠だったのだ。
 というわけで、この "The Black Book" を読んでいると、よろず自分の目、耳、頭で判断することのむずかしさと、名ガイドのありがたさが同時に「そこはかとなく」感じられ、「あやしうこそものぐるほしけれ」。