ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Virginia Woolf の  “Mrs Dalloway”(1)

 きのう、やっと Vriginia Woolf の "Mrs Dalloway"(1925)を読了。さっそくレビューを書いておこう。

Mrs Dalloway

Mrs Dalloway

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[☆☆☆☆★] ヴァージニア・ウルフ版『戦争と平和』といえるかもしれない。一方に、第一次大戦の災禍を体現したかのような青年セプティマスの自殺があり、他方、その知らせを自宅のパーティ会場で聞いた中年女性ダロウェイ夫人の、戦争とはほとんど無縁の半生が一日の推移とともに描かれる。夫人と青年の直接的な関係も皆無。つまり、ここでは本来複雑にからみあうはずの戦争と平和がべつべつの要素として存在する。それどころか一事が万事、本書には人生の断片しか存在しない。ダロウェイ夫人をはじめ、夫人と大戦後久しぶりに再会した元カレのピーター、亡き戦友を思うセプティマス、その錯乱にうろたえる彼の妻など、あらゆる人物がつぎつぎに登場してひとつのエピソードを形成するものの、各話ともそれぞれ独立した輪舞の一環にすぎず、各人の意識の流れのなかで結びつき離れていく。話法が目まぐるしく変化し、直接・間接・描出という三用法が同一の場面で混在するうち、詩的ないし美的連想により情景と心理が融合しては分離。それは「ものごとが一体化する瞬間」の連続であり、「魚のように深海に生息する人間の魂が突然、海面に浮上する」一瞬の連続でもある。こうした意識の流れが人生の本質であるのなら、人生とは、生と死と愛もすべて、しょせん没倫理的な美の断片にしかすぎない。いかに生きるべきか、という理念にもとづく永続的な流れではなく、いかに生きているか、という観照にもとづく瞬間的な流れとしての人生。戦争も自殺もひとつのエピソードにすぎないとは、恐るべき平和、恐るべき絶望とニヒリズムである。