ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Orhan Pamuk の “The Black Book”(3)

 相変わらずボチボチだが "Mrs Dalloway"(1925)を読んでいる。タイトルどおり、主人公はいちおう Mrs Dalloway と思われる。いちおう、というのは、Mrs Dalloway は前回ふれた元カレ Peter Walsh との再会以後、全体のほぼ4分の1ほども登場しないからだ。
 その代わり、これまたいちおう周辺人物が何人も顔を出す。それがじつは脇役とも思えない人物ぞろいで、おのおのまず、彼らのおかれた状況や場面などの客観描写ではじまり、そこにやがて発言や心中の言葉がまじり、最後はまぎれもない心理描写。これが Virginia Woolf 流の意識の流れというやつだろうか。
 このパターンはじつは冒頭から。1923年かな、第一次大戦の余韻が残る6月のある日、Mrs Dalloway は散歩に出かける。当然、彼女の心理が描かれるものと思いきや、それはときどき織りまぜられる程度。リレー式というか輪舞形式というか、通りにいる人物の心理がつぎつぎに紹介される。これを読んでいるとき、そういえば去年のブッカー賞受賞作、Damon Galgut の "The Promise" も同様のスタイルだったな、と思い出した。あれは Vrginia Woolf の影響だったのか。

 ともあれ、Mrs Dalloway はこの日の夜、自宅でパーティを企画している。そこに出席する人びとの事前説明という意味もあって、上のような輪舞形式で各人が各人の意識の流れのなかで登場するのかもしれない。
 それが面白いか、というと、さして面白くはない。ただ、こんなスタイルは1925年当時としては非常に斬新なものだったのではないか、という気がする。次作の "To the Lighthouse"(1927)のほうが、より洗練された究極の意識の流れを描いているとは思うけれど、本書における試みもなかなかのものである。
 閑話休題。表題作に移ろう。「なぜ Orhan Pamuk はこれほどまでにアイデンティティの問題にこだわるのか」。この謎を解くヒントと思えるくだりを拾ってみると、No one in this country can ever be himself. To live in an oppressed, defeated country is to be someone else.(p.390)"Once upon a time," began Galip, "there lived in our city a Prince who discovered that the most important question in life was whether to be, or not to be, oneself."(p.416)
 そして後者の Prince が登場する劇中劇の物語では、How to be oneself? Only by solving this mystery can we hope to save our people from destruction, enslavement, and defeat.(p.419)... all peoples who are unable to be themselves, all civilizations that imitate other civilizations, all those nations who find happiness in other people's stories were doomed to be crushed, destroyed, and forgotten.(p.429)Seven years after his [the Prince's] demise, the throne .... went to his older brother, .... and it was his [the brother's] rule that the Ottoman Empire, having entered the First World War, collapsed.(p.437)
 ほかの箇所も参考にしながら、ぼくはこうしたくだりを次のようにまとめてみた。「新旧東西、異文化の交差する街イスタンブール。本書の劇中劇にあるとおり、第一次大戦後のオスマン帝国解体以来、混沌につぐ混沌に満ちたトルコ。『アイデンティティを保持しなければ、都市も国家も民族も消滅する』。こうした彼の街、彼の国ならではの実存の不安こそ、じつは本書の真の主旋律なのではあるまいか」。
 こうなると、本書では物語性が度外視されている、だから面白くない、といった単純な評価は的はずれ。いままで読んだ Orhan Pamuk の作品では、なんといっても "My Name Is Red"(1998)が抜群に面白かったけれど(☆☆☆☆★)、

濃密さ、コア度という点では本書のほうがまさっているような気がする。文学史にのこる傑作である。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。ピノック盤を愛聴している曲だが、きょう久しぶりに聴いてみると、ガーディナー盤もとてもよかった)