ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tayeb Salih の “Season of Migration to the North”(2)

 これは名作巡礼の一環で取りかかった。Tayeb Salih(1929 – 2009)がスーダンの作家で、本書(1966, 英訳1969)が In 2001 it was selected by a panel of Arab writers and critics as the most important Arab novel of the twentieth century. と知ったのは読了後。掛け値なしに名作である(☆☆☆☆★)。こういう出会いがあるからこそ巡礼はやめられない。

 名作たるゆえんは、一言でいえば、「分裂から決断へ、というすこぶる人間的な生きかた」がみごとに描かれている点にある。
 分裂篇と決断篇とでは主人公が異なるのも特色のひとつだろう。全体の語り手は無名の青年で、留学先のロンドンからスーダンの村に帰ってみると、Mustafa Sa'eed という見知らぬ中年男がいた。この Mustafa は少年時代から天才ぶりを発揮、やはりロンドンに留学したことがあるという。I am South that yearns for the North and the ice.(p.27)とうそぶくイケメンの彼の女性遍歴が「まさに規格外、ケタはずれの愛憎劇」で、とてもおもしろい。
 その顛末を語り手の青年がひとしきり伝えたあと、やがて彼は My Life Story―by Mustafa Sa'eed と題された手記を発見。タイトルのつぎのページにこうしるされていた。To those who see with one eye, speak with one tongue and see things either black or white, either Eastern or Western.(p.125)
 手記の本文そのものは空白なのだが、それはおそらく、青年が聞いた上の話との重複を避けるための設定だろう。ここで see things either black or white とは、つぎに either Eastern or Western とつづく点だけ見れば肌の色にかんするものと解釈できるが、全体の文意としては、偏見や固定観念の比喩と解するべきだろう。そこでぼくは、Mustafa が体験した「男と女の愛と憎しみ、虚と実の争い」も踏まえ、こうレビューにまとめた。「これは『ものごとを黒か白かで見る人びと』にむけて書かれた本である。実際には、ひとは黒と白ないまぜの世界に生きている。早い話が、この世には完全な善人もいなければ完全な悪人もいない。黒白の割合が千差万別なだけだ。こうした矛盾に満ちた存在である人間は、心の内外でつねに分裂と衝突をくりかえしている」。
 村に帰った Mustafa は妻子をのこし他界。その未亡人と語り手の青年との関係も読みごたえがあるが割愛。ともあれ未亡人も自殺し、青年は彼女を救えなかったことに怒りをおぼえ、やけくそになってナイル川に身を投じる。Turning to left and right, I found I was half-way between north and south. I was unable to continue, unable to return. .... In a state between life and death I saw formations of sand grouse heading northwards. .... Suddenly I experienced a violent desire for a cigarette. It wasn't merely a desire; it was a hunger, a thirst. .... I thought that if I died at that moment, I would have died as I was born―without any volition of mine. All my life I had not chosen, had not decided. Now I am making a decision.(pp.138-139)
 それがどんな決断だったかは伏せておこう。とにかく、こんな断片だけ読んでもピンとこないはずだが、このくだりはじつに感動的である。そしてなにより、作者が Mustafa の「分裂と衝突」ではなく、青年の決断で本書を締めくくっている点に胸をうたれる。「分裂から決断へ、というのはすこぶる人間的な生きかた」だからだ。(この項つづく)

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。数あるみゆきのアルバムのなかでも傑作の1枚だろう)