ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Alan Garner の “Treacle Walker”(3)

 おとといレビューをアップした "Oh William!" で、今年のブッカー賞最終候補作を読んだのは4冊め。そこで暫定ランキングもつぎのように変更した。
1.
2. Small Things Like These(☆☆☆★★★)
3. The Trees(☆☆☆★)
4. 
5. Treacle Walker(☆☆☆★)
6. Oh William!(☆☆☆★)
 1位には、読みだしたばかりの "The Seven Moons of Maali Almeida" が入るのを期待。いまのところ、けっこうおもしろく、この快調がつづけば実際受賞するかもしれない。'Do you know why deluded men crave virgins?' 'Because a virgin can't know how bad in the bed you are.'(p.14)というジョークに吹きだしてしまった。
 4位には、現地ファンの下馬評を参考に、きのう届いた "Glory" を考えているけれど、ぶ厚い本なのでしんどそう。もし落選したら例によって、未読につき番外となる可能性大。
 閑話休題。表題作はとにかく「謎と矛盾、パラドックスに満ちたカオスそのもの」の世界である。どのページでもいい、しばらく読んでいるうちに、なんじゃこりゃ!と思うこと間違いなしだ。主人公の少年ジョーが「読んでいるコミックのキャラクターが本から飛び出してドタバタ騒動を起こしたり、ジョー自身が鏡の内外や、夢と現実の世界を行き来したり」、What is out is in; what is in is out.(p.79)というクズ屋の Treacle Walker のことばは、まさにこのカオスを端的に要約したものだ。

 その Treacle Walker に Joe はこう告げる。'I can't tell what's real and what isn't.'(p.134)これに Treacle Walker は 'What is "real", ....?' と混ぜっかえすのだが、Joe は 'Don't start.' と返答(ibid.)。現実とはなにか、という議論はこれだけだ。つまり、本書における現実とは、なにが現実かわからない状態、いいかえれば、「謎と矛盾、パラドックスに満ちたカオスそのもの」だということになる。
 そこで思い出されるのが、このところぼくのワンパターンの連想だが、ロシアによるウクライナ侵攻の実態である。侵略なのか解放なのか、虐殺なのか自作自演の茶番なのか、住民投票は強制によるものか、民主的なものか、もしどちらの主張も正しければ、まさしくカオスとしかいいようがない。
 いや、事実は小説よりも奇なり、ともいえるだろう。ぼくはこれまで Marquez や Salman Rushdie のものなど、「なんじゃこりゃ!」というマジックリアリズムの小説をたくさん読み、そして楽しんできたけれど、侵略と解放が同じひとつの事実を指すという現象ほど奇怪かつ楽しめないマジックはない。
 そのマジックが生みだされる要因は、立場の異なる者同士がそれぞれ自分の正義を主張している点にある。ゆえに正義とは奇怪な現実をもたらすマジックともいえるだろう。
 が、それが現実であることは認めるとして、はたしてそのままでいいのか。この現実を変えようという意欲はだれの心にも湧いてこないものだろうか。ぼくはそう疑問に思い、"Treacle Walker" のレビューをこう締めくくった。「時間、および時間とともに変容する空間の本質がいわば、おもちゃ箱をひっくり返したようなものだとしても、それをひっくり返してはいけない、という異論がなくてはフィクションとしては面白くない。ルールはフィクションかもしれないが、ルールなきカオスの世界だけでは、少なくとも深い感動はけっして生まれないのである」。
 だが、これは小説世界の話である。流血の惨を目のあたりにして、「面白くない」「深い感動は生まれない」などと他人ごとのような感想だけですませるわけにはいかない。では、どうすればいいのか。侵攻開始以後、その答えをずっと探しつづけている。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。ぼくのクラシック専用ラックの半分は、バッハ、モーツァルトベートーヴェンが占めている。もう半分がほかの作曲家。そのうちシベリウススメタナにつづいて、いまはドヴォルザーク。そこで気づいたのだが、彼らはいずれも国民音楽といえる曲を作曲している。『フィンランディア』『わが祖国』、そしてこの『新世界より』も故国への望郷の思いを謳ったものだ。ひるがえって、日本にはそのような国民音楽があるのだろうか。ぼくがCDを所蔵している日本の作曲家は、武満徹吉松隆だけ。ふたりの曲を聴いて、ほとんどの国民が祖国に思いを馳せるとはちと考えにくい。そもそも、そんな曲がどうも存在しないように思えるのは、日本が「カオスの国」ということの証左なのだろうか)

Symphony 9

Symphony 9

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