ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Shehan Karunatilaka の “The Seven Moons of Maali Almeida”(4)

 いつかも紹介した話だが、今年のブッカー賞のロングリストが発表される前、現地ファンのあいだでは、ディストピアを扱った候補作がどれくらい選ばれるだろうか、ということも話題のひとつになっていた。おそらく、ロシアによるウクライナ侵攻が背景にあったものと思われる。
 フタをあけてみると、最終候補作にかぎっていえば、6分の1。正真正銘、ディストピア小説と呼べるのは "Glory" だけだった。
 それより、今年の候補作のキーワードは「混乱」だったのではないか。個人単位にしろ国家規模にしろ、多かれ少なかれ、ぼくが読んだ作品はどれもなんらかの混乱を扱っていた。創作時期から考えて、昨今の国際情勢を反映した結果でないことは明らかだが、一見そんなふうにも見えるのは偶然のイタズラか。
 ともあれ、表題作では、何者かに殺害された主人公 Maali Almeida の個人的混乱と、内戦勃発によるスリランカの国家的混乱が同時に描かれている。その両者が「マジックリアリズムによって極度に誇張され、力づよいシュールな造形美に満ちた壮大なカオスが出現している」点が最大のセールスポイントだろう。
 そこで思い出したのが、今年のブッカー賞最終候補作 "Treacle Walker"(2021 ☆☆☆★)。「ファンタジーとも、フォークロアとも、はたまた童話やコミックともいえそうな」作品で、あれこそまさに「謎と矛盾、パラドックスに満ちたカオスそのもの」の世界だった。

 同書と "Seven Moons .... " を較べれば、もちろん後者のほうがすぐれている。理由はいろいろあるが、決め手はふたつ。まず、"Treacle Walker" ではただカオスがあるだけで、その混乱を収拾しようとする動きがまったくない。これにたいし、"Seven Moons .... " では「善霊が悪霊と戦い、マーリもまた現世における不正を糺そうとする」。
 最近の国内外の情勢がよく物語っているとおり、ぼくたちはカオスの現実を生きている。それゆえ、フィクションでみごとに再現された、場合によっては現実以上に現実らしいカオスを見て感心することはあっても、もし再現だけなら感動までおぼえることは、まずない(Treacle Walker)。けれども、そこにその現実を超克しようとする努力が認められれば(たとえば、上のマーリの活動)、その度合いに応じて感動するものである。残念ながら、"Seven Moons .... " における努力は胸を打つというほどではないけれど、その姿勢だけは買うべきだろう。(つづく)

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。新ウィーン楽派の無調の音楽に現代人の不条理を感じて感動する、と述べたのはスポーツ評論家の玉木正之氏。その説に一理はあるものの、毎日聴いて楽しむほどの感動が得られないことも事実だ。毎日聴くなら、やっぱりモーツァルトですね)

Schonberg/Berg/Webern