熱は引いたが頭がまだ重く、なんだかボンヤリしながら昨日の続きを読んでいる。おかげでろくに進まなかったが、それでもやっと巻なかば。少しはこの作品の本質に迫らねば、といろいろ考えてみた。
まず時代は19世紀末から20世紀初頭で、今はちょうどヴィクトリア女王が崩御したところ。つまり大英帝国黄金時代の末期ということで、文字どおり光り輝く最盛期ではなく、いくぶん斜陽の影が射しこんでいる。資本主義経済の矛盾や腐敗、アナーキストの台頭、ボーア戦争による疲弊、オスカー・ワイルドに代表される世紀末的な退廃耽美の世界。それに加えて、ヴィクトリア朝ならではの偽善的な道徳。
こういった背景がさりげなく紹介される一方、それは本書に登場する大人たちの性格にもかなり反映されているようだ。昼間の仕事は銀行員だが実はフェビアン協会員、さては正義の味方と思いきや、そのまた裏で愛人をかこっている男。世間的には陶芸の名人と謳われながら、密かに自分の娘たちをモデルに猥褻な作品を作っている男。こうした表と裏の顔、虚像と実像をあわせもつ人物が本書には数多く登場する。しかも彼らはいずれも大人ばかり。このことが何を意味するのか何となく想像はつくのだが、例によって見当違いかもしれない。とはいえ、少なくとも今のところ、本書の理解に欠かせない要素のひとつだと思う。
一方、タイトルどおり本書には子供たちもたくさん登場するのだが、以上、たったこれだけ書くのにもえらく時間がかかってしまった。子供のほうの分析はまた後日。