ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Children's Book" 雑感(4)

 子供たちの話に移る前にもう少し大人の話を続けよう。いつも何かにつけて引用するパスカル箴言にある、「人間は天使でも獣でもない」という人間の二重性からすれば、「表と裏の顔、虚像と実像をあわせもつ人物」とはまさに人間の真実の姿である。それゆえ小説の場合、舞台はいつの時代でも一向にかまわないのだが、本書でバイアットがヴィクトリア朝末期を選んだ理由のひとつは、それが「時代そのものに光と影がある時代」だったからではないか、とぼくは推測する。むろん、どこの国の歴史にも光と影はつきものだが、大英帝国黄金時代の末期といえば、そのコントラストがひときわ鮮やかだった時代の代表例ではないだろうか。つまり、大きく言えば、時代精神としての光と影を体現するような人物がここには登場しているような気がするのだ。まだ途中なので、これは深読みかもしれないけれど…。
 で、そういう人間の光と影、もっと本書の主筋に即して俗っぽく言えば、それまで美しい表面に隠れて見えなかった大人たちの秘密を子供たちが発見する、というのが昨日から今日にかけて読んだ範囲でいちばん大きな動きなのである。
 本書に登場する子供たちはおおむね十代。成人している場合もあるので、大ざっぱに子供世代と言うほうが正しいかもしれない。ともあれ特徴的なのは、どこまでも純真無垢な存在という紋切り型の子供がひとりもいないことだ。誰しも何らかの欲望欲求をもち、性欲はもちろん同性愛願望、さては少女でさえも官能のうずきを覚える…。ごく当たり前の話かもしれないが、同性愛ねえ…へえ、女の子でも…とおじさんは柄にもなくうろたえてしまったが、才女バイアットの書くことだ、間違いないでしょう。
 その一方、彼ら彼女たちにはもちろん、いかにも子供らしい「純真無垢」な側面もある。要は「天使でも獣でもない」ごくふつうの人間ということなのだ。それが大人の場合と同様、「時代精神としての光と影を体現」しているかどうかは怪しいけれど、なんとオスカー・ワイルドも登場することだし、少なくとも同性愛に関しては、あえて深読みしてもいいような気もする。
 えんえんと続いている第2部 'The Golden Age' だが、あと少しで終わりそうなところまで今日はこぎつげた。秘密の暴露に次ぐ暴露…もうネタばらしはできません。子供たちの分析の続きはまた後日。