今年のブッカー賞候補作、Ned Beauman の "The Teleportation Accident" を読みおえた。さっそくレビューを書いておこう。なお、今回のぶんもふくめて、今まで読んだ候補作のレビューを7月26日の日記にまとめておきました。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20120726/p1
[☆☆☆★★] まるでおもちゃ箱をひっくり返したように、いろいろ楽しい要素が雑然と詰めこまれた作品である。ドタバタ喜劇、ロマンス、スパイ・陰謀小説、
歴史小説、SF。舞台も17世紀の
ヴェニスから約二万年後の未来の
ロサンジェルスまでさまざまだが、大半を占めるのは1930~40年代のベルリン、パリ、ロス。ゆえに台頭する
ナチスの影や
ホロコーストの悲劇もかいま見えるものの、それはあくまでたんなる時代背景にすぎない。主人公のドイツ人青年イーゴンが政治情勢から極力背をそむけ、ひたすら自分の願望を追い求め、欲望に走りつづけているからだ。タイトルどおりテレポーテーション装置にまつわる事件が大きな山場となり、爆笑もののケッサクな珍事件がつぎつぎと発生。そこに国家の謀略だの
疑似科学だの、脱線気味の諸要素が紛れこんだ結果、混沌とした世界が生じている。それが第二次大戦前の混乱した世相を反映し、ひいてはテレポーテーションによる瞬間移動こそ、じつは根無し草という人間存在の象徴なのだと思わせる点もあり、その意味で本書は、こっけいで、はかない人間の姿を斬新なア
イデアで描いた喜劇ともいえよう。ただし深みはない。永続的な価値や理想に無関心なイーゴンは、ひとを笑わせることはあっても感動させる力はないのである。