ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Laurent Binet の “HHhH” (4)

 最後の補足をしておこう。おととい引用した箇所を読めばすぐにわかるとおり、ここでは「暗殺が今そこにある事件として語られ、事件と平行して、小説が今そこで生まれつつある作品として書き進められ」ている。作者は「神のごとき全知全能の存在として自分の作品を掌握」するのではなく、史実と同時に自作とも対話しながら、いわば小説作りの現場リポーターのような立場で執筆している。
 それゆえ、各人物も「文学作品のキャラクターとしてではなく、当時はもちろん、現在も生きている人間として登場する」。'Today is May 27, 2008. When the firemen arrive, about 8:00 a.m., they see the SS everywhere and a corpse on the pavement.' (250章) といったくだりにしても、ただの奇をてらった幻想ではなく、「今そこにある事件」の一環として綴られているのだ。
 こうした作法の意図を示す箇所がある。'The men and women and children who helped them [the commandos], directly or indirectly, are not so well-known. Worn-out by my muddled efforts to salute these people, I tremble with guilt at the thought of all those hundreds, those thousands, whom I have allowed to die in anonymity. But I want to believe that people exist even if we don't speak of them.' (251章)
 ぼくはこのくだりを読み、思わず目頭が熱くなってしまった。作戦を遂行した隊員たちはもちろん、作戦に協力した人びとや、作戦がナチスによる報復を呼び、その結果虐殺された人びとのすべてを「現在も生きている人間として登場」させる。「これはすなわち……ナチスの犠牲になった人びとへの尊崇の念を表明するものであり、この意味で本書は彼らに捧げた鎮魂歌にほかならない」。つまり、本書の叙述スタイルは、たんなる小説作法にとどまらず、はるかに深い精神的態度にかかわっているのである。ぼくはその点に感動を覚える。
 ほかにもっと書きたいこともあるが、これくらいにしておこう。周知のとおり、本書は2012年の全米批評家協会賞の最終候補作になっている。おもしろさと深みを兼ね備えた Adam Johnson の "The Orphan Master's Son" (☆☆☆☆)が本命のような気もするが、深みという点では、この "HHhH" (☆☆☆☆★) のほうが一枚上手。どちらが栄冠に輝いても異存はありません。