ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Elizabeth Strout の “Oh William!”(2)と既読作品一覧

 novel を「小説」と訳したのは坪内逍遥らしいが、"Moby-Dick" や "War and Peace" など質量ともに雄大な novel を小説と呼ぶのは、よく考えると、おかしい。さりとて、いまやほかに呼びようもなく、習慣的にそう分類している。
 一方、なるほど「小説」とは言い得て妙、という小品もたしかに存在する。今年のブッカー賞最終候補作でいえば、表題作と "Small Things Like These" がそうだし、"Treacle Walker" もふくめていいだろう。
 このうち、最も「小さな説」らしいのが "Oh William!" だ。語り手の主人公 Lucy Barton は作家だが、もちろん作者の Elizabeth Strout とは別人物。ゆえに本書も日本的な「私小説」ではないが、ふと、そういいたくなるほど、これはいかにも「小さな説」らしい小説である。
 本書にかぎらず、Elizabeth Strout の作風は、市井の人びとの日常生活を繊細なタッチで静かに淡々と綴る点に特色がある。ぼくがはじめて読んだ Strout の作品、第2作の "Abide with Me"(2006 ☆☆☆★)もそうだった。

 これは刊行当時、あまり話題にならなかったと記憶する。が、つづく第3作 "Olive Kitteridge"(2008 ☆☆☆☆★)は2009年にピューリツァー賞を受賞。前作の地味なイメージがあっただけに受賞を知ったときは驚いたものだが、じっさい読んでみると、格段の進歩にふたたび驚いた。主人公の老婦人 Olive Kitteridge の心中に渦巻く「深い愛情と強烈なエゴ」ゆえに、彼女と周囲の人びとのふれあいに深みが増している。ほかにも美点はたくさんあるが、「人間性の矛盾を柱とした」ところがいちばんのミソだろう。

 第5作 "My Name Is Lucy Barton"(2016 ☆☆☆★★★)も、とてもよかった。2016年のブッカー賞一次候補作で、ぼくはロングリストの発表前に読み、いたく感動。北海道旅行中、バスのなかで読みおえたときのことは、いまでもありありと憶えている。レビューは網走のホテルでアップしたものだ。

 これは女流作家 Lucy Barton シリーズの第1作。今回の "Oh William!" の原型が、そのすべてがここにある。忘れえぬ人びととの出会いを綴ったスケッチ集で、「これを読めば、読者もまた主人公と同様、美しい残照のなか、わが人生をふりかえり、自分にも永遠の一瞬があったことを思い出すのではなかろうか」。

 前作の続編ないし補遺編(2017 ☆☆☆★★)。Lucy 以外に、彼女とかかわりのある人物が順に主役をつとめる連作短編集だが、やはりシリーズにふくめていいだろう。例によって「人間の悲しみの小さな瞬間」をとらえたものだが、その悲しみがどのエピソードを読んでも似たり寄ったり。はじめのうちこそ Lucy とはべつの視点を導入したメリットがあるものの、後半はそうでもなく、飽きてしまった。
 とそんなわけで、久しぶりに読んだ本シリーズの近作が "Oh William!"(2021 ☆☆☆★)。Wiki によると、最新作は "Lucy by the Sea"(2022)のようだが未読。

 いつもの Strout らしい作風だが、それだけに新味はほとんどない。まず、扱われる題材が親子の別離、夫や妻の不倫、離婚など、おなじみのものばかり。人物が変わっただけだ。いや、いくつか旧作のくりかえしもある。
 それから、Strout を読むのは本書がはじめてというひとにとっても、ひとつひとつの話がそれほどおもしろくないのでは、という気がする。"My Name Is Lucy Barton" でさえ、「エピソードのすべてが感動的なわけではな」かったのに、"Anything Is Possible" でその感動が薄らぎ、本書でさらにダウン。「忘れえぬ永遠の一瞬」は人生にそうざらにあるものではない、という結果になっている。
 こうしてみると、そもそも Lucy Barton は、Olive Kitteridge のように激しい内的矛盾をかかえた人物ではなかったことが思い出され、それが本書の「パンチ不足」最大の要因と思われる。
 とはいうものの、なかには共感をおぼえるくだりもある。What a really awful thing I had done./ I had not thought of this until now. .... / This is the way of life: the many things we do not know until it is too late.(p.205)
 これ、ホントですな。要は「後悔先に立たず」ということだが、もうすぐ古希を迎えるぼくなど後悔ばかり。それはともかく、この例のように「人生の小さな真実」を読みとることに専念すれば、これはこれで、なかなか味のあるスケッチ集といえるかもしれない。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCDの1枚。カリンニコフの曲を演奏しているのがウクライナ国立交響楽団(録音1994年)とは、まさに隔世の感がある。彼らはいま、どんな活動をしているのだろうか)

Symphony 1 & 2