ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Red and the Black" 雑感(14)

 さて、ニーチェや Steiner の言う悲劇の意味を確認したところで、Julien Sorel の人物像について改めて検討してみよう。
 まず、彼の出自は賤しい。貧しい材木屋の息子で、'a man on the lowest level of Society' である。この点では明らかに tragic hero の要件を満たしていない。
 しかし彼は眉目秀麗、頭脳明晰。非凡な才能の持ち主であり、ひそかにナポレオンに心酔、出世を夢見る野心家である。プライドもすこぶる高い。Mathilde によれば、'degenerate and tedious age' にあって唯一、有能かつ高貴で偉大な男、男の中の男である。こうした点では tragic hero の資格を有しているようにも思える。
 また一方、Julien は周囲の俗物と較べ、精神的な意味で「高貴と下賤」、「聖と俗」の対比をなすほど、清純で無垢な心の持ち主でもある。その心が Renal 夫人の深い愛情にふれることで激しい本物の情熱に燃えたとき、野心や出世欲、プライドという俗なるものが消え、彼はいっそう精神的に高貴な人物となる。この点も tragic hero のような気がする。なぜなら、そういう純情かつ情熱的な性格が彼の破滅の一因だからだ。
 その破滅をもたらしたものは、大別して3つあると思う。一つは今述べたように、何よりもまず Julien の性格そのものである。(詳細については、ネタばらしになるのでカット)。
 次に、彼がおかれた時代の状況である。Mathilde の父、La Mole 侯爵はこう述べている。'All foresight must be abandoned. This age is destined to bring everything to confusion. We are marching into chaos.' (p.458) 出自は賤しくとも、聖職者か軍人のいずれかになれば貴族と肩を並べられる時代とは、まさにカオスの時代にほかならない。そこでは当然、成り上がり者に対して大きな障害が立ちはだかることになる。身分制度固執する旧勢力である。これもまた Julien の破滅につながっている。(詳細はカット)。
 そして最後は宗教的なハードルだ。Renal 夫人は、夫以外の男性である Julien に純粋な愛情をいだく一方、強固なキリスト教的倫理観も兼ねそなえている。それが彼女に激しい心理的葛藤をもたらし、また Julien の破滅を導いているのである。(詳細はカット)。
 こうして見ると、どの破滅の要因も、個人の力ではコントロールできないもののように思える。やはり Julien は tragic hero なのか。
(写真は伊達家の菩提寺、大隆寺の境内にある庭園)。