あとひとつだけ Nadine Gordimer の "The Conservationist" について補足すべきことを思い出した。が、きのう第1回フランク・オコナー国際短編賞受賞作、ご存じ Yiyun Lin の "A Thousand Years of Good Prayers"(2005)を読了。早くも記憶が薄れかかっている。メモを読み返しながらレビューを書いておこう。
[☆☆☆★★] 祈りはふつう足りない、届かない。そこに文学が生まれる。表題作がいい例だ。離婚したばかりの娘とのすれちがいを通じて、老いた父親が古い心の傷を思い出し、亡き妻の愛情を実感、いまを生きることの意味を知る。ユーモアと滋味に富んだ爽やかな好編である。ゲイの男が自分の元恋人の子どもを宿した女に中絶を思いとどまらせようとする第4話もいい。ふたりの祈りは届くのか届かないのか、現代のシカゴと昔の中国の心にしみる情景が鮮やかにカットバック。婚約者がほかの女と結婚し十年後に破局、独身を守ってきた女はなにを祈るのか。文化大革命で職をうしない自室でニワトリを飼いつづけた男はなにを祈っていたのか。どの話にも、心に忘れえぬ思いを秘めた人物が登場する。祈りにも似たその思いが沈殿し、変化を遂げ、やがて噴出する一瞬をみごとにとらえた短編集である。文革や天安門事件などへの風刺も散見されるが、政治色は皆無。それだけに共感しやすく、ふくらみのある作品に仕上がっている。祈りはいつ、どんなかたちで届くのだろうか。