ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Daisy Johnson の “Everything Under”(2)

 これはイギリスの若手女流作家の長編デビュー作。つまり前回まとめた Sophie Mackintosh の "The Water Cure" と同じわけだが、Daisy Johnson のほうがずっとうまい。いまのところ、ぼくが読んだイギリス勢の中では先頭を切っている。
 かなりトリッキーな要素がある本なので、レビューで紹介した内容に説明を加えるのはちとむずかしいが、差し障りのない程度にひとつだけ。Effing along, sheesh time, harpiedoodle, sprung, messin, Bonak.(p.256)
 どれもなんだか妙な単語ばかりだが、初出の箇所でもだいたい意味はわかる。じつはこれ、sprung もふくめてヒロインの母親が造ったもので、上のくだりはヒロインが幼いころから聞かされてきた言葉をまとめたところ。その前に彼女はこう述べている。Again and again I go back to the idea that our thoughts and actions are determined by the language that lived in our minds.
 卓見ですね。ちょっと考えると、要は「はじめに言葉ありき」。当たり前のことだが、この文を目にするまで、ぼくはふだんあまり意識していなかった。言語とは、国語とは、たしかに人間の運命をかたち作るものだ。バイリンガルならいざ知らず、ぼくたちの大半は日本語から離れて生活することができない。「言葉は、それを使ふのは自分だからといって、自分の思ひのままにどうにでも使へるやうな私物ではなく、逆に言葉の方が私達に向つて、その生理に随つて使へと命じて来る、言換れば、言葉に使はれるやうに心を用ゐよと命じて来る」。(福田恆存小林秀雄の『本居宣長』」)
 この "Everything Under" は「神なき現代における人間の運命を寓話的に描いた、『オイディプス王』の本歌取りとも言うべき秀作である」が、単に「『オイディプス王』を思わせる複雑な人物関係」だけでは秀作とは言えまい。むしろ、ヒロインと母親のあいだに、言語すなわち運命という結びつきがあり、それが本書の設定に大きくかかわっている点が斬新だとぼくは思う。
 ブッカー賞の選考で重視される要素のひとつが斬新な工夫であることは、たぶん多くの読者が実感しているはずだ。その点、一番人気の "Warlight" はどうなのかなあ。ぼくもけっこう好きな作品なのだけれど、従来の Ondaatje の作風どおりって気がしませんか。
 などと考えているうちに、あまり好きな作品ではないが、斬新さという点では "The Overstory" が随一かなと思い直し、7月25日の記事に掲載している候補作ランキングを入れ替えました。
(写真は、愛媛県宇和島市佛海寺)