ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

マルセル・パニョルの『マルセルのお城』

 超繁忙期がやっと終わり、今週から自分のペースで仕事をしている。まあ、フツーに忙しい。
 中断していた今年のブッカー国際賞受賞作、Jokha Alharthi の "Celestial Bodies"(アラビア語原作2010、英訳2018)に改めて着手。なかなか面白いけど、いまのところ☆☆☆★★くらい。このぶんだと、同賞最終候補作だった Juan Gabriel Vásquez の "The Shape of the Ruins"(原作2015、英訳2018)のほうが上出来のような気がする(☆☆☆☆)。
 マルセイユ行きが迫ってきたので、ゆうべ、ブルーレイ盤で「マルセルのお城」を観た。ご存じ「プロヴァンス物語」の第二部で、先週末に観た「マルセルの夏」の続編。どちらも大好きな映画だ。 

 第一部のほうは、ケレン味のない正統的な〈少年時代の夏物語〉。これで一本、筋がとおり、続編では前半で(お決まりだが)ませた女の子が登場したり、後半で大事件が起きたりと、変化に富んだ構成になっている。二作でひとつの作品と言ってもいいだろう。
 なかでも、ぼくがいちばん好きなエピソードは「お城」の幕切れ。あそこは胸に迫ってくるものがある。先ほど Marcel Pagnol の原作 "My Father's Glory and My Mother's Castle"(1960)の最終章を読んでみたら、映画とまったくおなじだったのでビックリした。
 ついでに拙訳(英訳からの重訳)を試みたので、以下、アップしておこう。映画を観ていないと分かりにくい箇所もいくつかあるが、観ている人にはピンとくるはずだと思う。 

MY FATHERS GLORY MY MOTHERS CASTLE

MY FATHERS GLORY MY MOTHERS CASTLE

 

  また十年が過ぎ、私はマルセイユで映画会社を設立した。ビジネスが順調に進み、プロヴァンスの空の下で「映画村」を作ろうという野心が芽ばえた。この壮大な計画にふさわしい施設を収容するだけの「領地」を見つけようと、不動産屋が仕事に取りかかった。
 私がパリにいるあいだに、不動産屋が希望の物件を探し出し、その「発掘」を電話で知らせてきた。が、それだけではなく、ものの数時間で契約を結ばないといけない、ほかにも購入希望者が何人もいるから、という話だった。
 えらく熱心に勧めてくれ、正直な不動産屋であることも知っていたので、私は現物を見たこともないのに購入を決めた。
 一週間後、マルセイユのプラド・スタジオから、音響技師、カメラマン、フィルム検査技師を乗せた短い車列が出発した。いよいよ約束の地を所有することになったのだ。移動のあいだ、みんないっせいに、おしゃべりをした。

 私たちを迎えいれるように開け放たれた、とても高い門を通過した。
 プラタナスの老木が並んだ邸内道のはずれ、大きな館の前で一行は停車した。歴史的建造物ではなかったものの、第二帝政時代のさる羽ぶりのいい資本家の大邸宅ということだった。四つある八角形の小塔や、建物正面の左右を飾りのように囲む、三十面にもおよぶ彫刻をほどこした石造のバルコニーは、さぞ自慢の種だったにちがいない……
 スタジオの建設を予定している草地のほうへ、さっそく足を運んだ。
 そこでは何人かの作業員が早くも、測量用のチェーンをせっせとほどいたり、白塗りの杭を地面に打ち込んだりしていた。私は大きな事業の誕生を、べつに誇らしい気分でもなく見守っていたが、やがてふと、遠くの土手の上、低木の生け垣に目をやった。……息が止まった。わけも分からず、やみくもに駆け出し、草地を、時の流れを縫って突き進んだ。

 そう、そこにあった。たしかに子供時代の運河だ。サンザシの茂み、クレマチス、白い花が満開のイヌバラ、大粒の実の下に鋭いとげを隠したクロイチゴ……
 運河の水は草道に沿ってずっと音もなく、永遠に流れていた。少年のころとおなじバッタが、足元の四方八方で水しぶきのように飛び跳ねる。休暇で利用した道をまたゆっくりと歩いていく。いとしい影が、かたわらについて来る。
 生け垣のあいだから、遠くにあるプラタナスの上のほうをちらっと眺めたとき、初めて恐ろしい城に気がついた。恐怖の城、私の母をあれほど怖がらせた城。
 つかのま、あの門番と番犬に出くわしたらいいのに、と思った。ただ、あれから二十年たち、復讐心は消えうせていた。悪党もまた死なねばならないのだ。
 運河の土手づたいに歩を進める。相変わらず「ハゲたふるい」のようだったが、それを目にして笑った弟のポールはもう、ここにはいない。乳歯をきらきらと輝かせていたポール……
 遠くで私を呼ぶ声がした。生け垣のかげに身をひそめ、昔とおなじように少しずつ、足音を立てずに前進する。
 とうとう境界壁が見えてきた。ガラスの破片を埋め込んだ壁のてっぺんの向こう、青々とした小高い山なみでは、六月の夏の光が踊っている。が、壁のいちばん下、運河のすぐそばでは恐ろしげな黒塗りの扉が待っていた。休暇で訪れたとき、いっこうに開かなかった扉、私の父に屈辱を与えた扉……
 突然、肚の底から湧きあがってきた怒りにわれを忘れ、私は両手で大きな石をかかえると、まず空に向かって高く持ちあげてから、扉の腐った板めがけて勢いよく投げつけた。板は木っ葉みじんに砕けちり、過去の上に降りかかった。
 前より呼吸が楽になり、忌まわしい呪文が解けたような気がした。
 けれども、咲き誇る白い花の房におおわれたイヌバラの茂みのかげ、時の流れの向こう岸では、若々しい黒髪の女性が、もう何年ものあいだ身をすくめていた。あの大佐の赤いバラを、か弱い胸元にひしと抱きしめていた。門番の怒鳴り声と、番犬のしゃがれたうなり声に聞き耳を立てていた。顔が青ざめ、身体をぶるぶる震わせ、いつまでも慰めようのない母。やっとぶじ家に着いたことを、自分の城にいることを、息子の土地にいることを知らない母。