ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

ハーマン・ローチャーの『おもいでの夏』

 ああ、やっと地獄の2週間が終わった! やむを得ぬ事情で4月から復職したとき、この超繁忙期がやって来ることはすでに覚悟していたのだけど、いざ迎えてみると、ほんとにキツかった。
 それでも、5月末から準備を始めた甲斐があって、なんとか切り抜けることができた。ゆうべは祝杯を上げながら、「プロヴァンス物語 マルセルの夏」を観たのだが途中でダウン。HDマスター版を謳ったDVDの画質が、それほどでもなかったのが一因かもしれない。
 そこできょうの午前中、もういちど最初から観なおした。それも、特典Discと銘打たれただけで、なんのラベルも印刷されていないブルーレイ盤のほう。
 これはいい! 明らかに画質がDVDとはちがう。どうしてこちらを前面に押し出した仕様にしなかったのかな。(いまネットで確認すると、「コンプリートblu-ray」というのが今年の1月に発売されていた)。
プロヴァンス物語」を観たのは、たしかこれで3回目。手を伸ばしたきっかけは、じつはお盆休みにマルセイユへ行くことになっているからだ。ドラ娘の企画した旅行で、聞けばこの映画に関連した観光コースがあるという。
 ともあれ、これは〈少年時代の夏〉という定番のテーマを扱った映画や音楽、文学作品のなかで、マイベストに入る秀作。いまこの季節に観るのがいちばんだろう。
 原作は Marcel Pagnol の "My Father's Glory and My Mother's Castle"(1960)で、長らく積ん読中だが、いつか読もう、気に入ったくだりだけでも拙訳を試みよう、と思っている。英訳版からの重訳になるけれど。
 ひとくちに〈少年時代の夏〉といっても、いまのようなオジイチャンになって振り返ってみると、どうも記憶がごちゃごちゃになってしまい、どれがいつの夏の出来事だったか、あまり判然としない。
 それが青年時代になると、こちらはさすがにまだ憶えている。なかでも、Iris Murdoch の "The Bell"(1958 ☆☆☆☆★)を読んだときの夏は、「あの夏は あの雲のなか 永遠に」という拙句とともに心に焼きついている。 

 いつかも書いたが、生涯ベスト3に入る思い出の傑作だ。曲想は夏とは関係ないけれど、たまたまその夏、りりィのライヴ・コンサートで聴いた「心が痛い」も忘れられない。ふるさと愛媛の田舎に帰省中のことだった。

マルセルの夏」とおなじく、初めて観たのがいつなのかサッパリ思い出せないのが「おもいでの夏」。たぶん1回しか観たことがないはずだけど、これも〈少年時代の夏〉テーマの作品として、わが殿堂いり。
 いたく気に入ったので、原書 "Summer of '42"(1971)も入手しているが、これまた積ん読中。ただ、これはかれこれ十年ほど前、冒頭だけ拙訳を試みたことがある。
 それをいま読み返してみると、文字どおり拙訳で、お話にならない。よくまあ、こんなものを公開したものだと後悔した。 

 駄洒落はさておき、きょうはちょっぴりマシな(と思える)拙訳を、昔の記事に載せるとともに再アップしておこう。恥の上塗りというやつだけれど。そんなことができるのも、当面やっと〈自宅残業〉から解放されたおかげ。それがうれしくてならない。 

  男は前からいつも舞台を再訪しようと――あの島をもういちど目にしたいと思っていた。けれども、その機会はいっこうに、きちんとしたかたちでは、めぐって来なかった。ところが、こんどは予定に穴があき、そのあと何もかも驚くほど都合よく進んだので、ニューイングランドの海岸を車でずっと北上し、昔の魔法にまだ効き目がのこっていないか確かめることにした。古ぼけたフェリーに乗船すると、愛車のメルセデス・コンヴァーティブルに、五、六人ほど乗りあわせた、いかつい顔つきの島民たちが、さりげなく氷のように冷たい視線を浴びせてきた。島へ渡る新車は、いつもごくわずかだったからだ。パケット島を訪れる車といえば、たいてい人間ならゆうに静脈瘤を起こすような年代物で、それゆえ、製造年数的にも性能的にも、本土へ帰る旅にはいっさい関心がない。「どの車もくたばるためにやって来るんだよ、このくそいまいましい島にはな」とそうオッシーが言ったものだ。あの“大哲学者”オッシー。たしかに、それは一九四二年とおなじく、一九七〇年でも真実だった。
 男はまわりの顔を観察した。どの顔も風上をむき、そよ風をまともに受けている。どうやら、こちらのことを憶えている乗客はひとりもいないようだ。無理もない。二十五セントの料金を払って最後にこのフェリーに乗ったのは、まだ十五歳になったばかりのことだった。あれからきょうまでのあいだに、ずいぶんいろんなことが変化した。料金もそうだ。昔の二十五セントが、いまでは一ドル。男も変わり、今年で四十二歳。それなのに、どうして自分のことを記憶にとどめている人間がいるだろう。そう思うのは、虫のいい話だ。
〈パケット島コーストウェイ〉とかいう道路を、淡々とメルセデスで進む。制限速度は時速五十キロ。廃車置場で発掘したラサールでも、べつにどうということはない。新車のメルセデス・ベンツならなおさらだ。道の左側には、なつかしい砂丘が広がっていた。草むらに覆われ、いろいろなゴミや白色化した木片が、てんでんばらばらに散乱している。海が気のむいたときに、道路のむこうから無造作に放り投げてきたものだろう。ついで右手に視線を移すと、海そのものがあった。白波が立った灰緑色の海。しかも広い。いや、とてつもなく広い。世界でも指折りの広さだ。
 高級車がでこぼこ道を難なくこなしていく。大きなフロントガラスのむこうを眺めると、前方になんだか妙にどんよりした靄がかかっていた。もう昼前だというのに、日の射す気配はいっこうにない。予想がつくのは気まぐれな霧で、それがいっとき漂ってから、やがてこの島で“昼間”と呼ばれる時間帯になる。視界はどの方角も、わずか五十メートルばかり。まぶしい光の輪が懸命に広がろうとしている。けれども、海風が早くも勢いよく吹きつけていた。おかげで霧はしぶしぶ持ち場を譲り、恨みがましく島の奥へと小刻みに引っこもうとしていた。霧の流れが目にとまる。その前へ駆りやられる影のかたまり。重く垂れこめた灰色のカーテンが上がり、青空がのぞきそうな兆しがかすかにある。ふと、何かの輪郭が浮かんできた。小高い砂丘の上、道路の海側をちょっと行ったあたりにうずくまっている。一軒家だ。杉の板ぶきで、すっくと建っている。はるか遠くにある、けれどしっかり思い出にのこっていて、釘の一本一本まで脳裏に再現できる家。ドロシー。愛しているよ、ドロシー。