ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “Sundays in August”(2)

 今週は予定どおり、Bernardine Evaristo の "Girl, Woman, Other"(2019)を読んでいる。先々週だったか、ちょっとだけ試読。先週 Margaret Atwood の "The Testaments"(2019 ☆☆☆★★)に乗り換えたあと、改めて最初からじっくり Evaristo のほうに取りかかった。
 たしか前々回、「ある人物にイギリス保守派の動きをファシズムと呼ばせるなど、〈単眼思考〉が気になる」という趣旨のことを書いたけど、あれはぼくの早トチリでした。
 序盤でイギリスのナイジェリア系移民の娘 Amma が登場。レズビアンフェミニスト、反体制派ということで、その政治路線が一方的に続くのかと思いきや、途中でいろんな立場の黒人女性が次々と顔を出し、中には Amma のことをこう評する友人もいる。her entire raison d'être was to rail against whatever prevailing orthodoxy she objected to and try to smash it to bits which was impossible, so what was the point?(p.233)
 ほかにも、feminist politics can sod off という女性の発言が飛び出したり(p.301)、黒人系移民一家の歴史を振り返った老女が the family was becoming whiter with every generation and they didn't want any backsliding と述べるなど(p.350)、全体的にはとてもバランスの取れた〈複眼思考〉にもとづく作品だと思う。時にコミカルで生き生きした女性群像の描写がなかなかいい。テーマとしては、〈女もつらいよ〉かな。それが同時に現代イギリスの世相も反映しているようだ。
 いままた現地ファンの声を拾ってみると、今年のブッカー賞最終候補作のなかで相変わらず1番人気。ぼくの評価はいまのところ☆☆☆★★★だけど、人気の高い理由はよくわかるし、下馬評どおり栄冠に輝いてもいいような気もする。
 さて、ここから海峡を渡ってフランスのノーベル賞作家、Patrick Modiano の "Sundays in August"(1986 ☆☆☆)に移ろう。 

 本書はぼくにとって7冊目の Modiano。残念ながら期待したほどの出来ではなかったが、それでもモディアノ中毒が治ったわけではなく、もっともっと毒されたかっただけ。「モディアノ作品に特有の、後ろ髪を引かれるような過去へのこだわり度が足りないだけで」、大好きな作家であることには変わりない。
 一種のクライム・ストーリーなので、不得要領なレビュー以上にネタは割れない。舞台がニースとあって、たまたまこの夏マルセイユを訪れたぼくは、街の描写がなんとなく懐かしかった。ノスタルジーこそ Modiano の本質にかかわる要素のひとつだろう。ってことで、以下、幕切れの最終パラグラフだけ訳出しておきます。

 あの夏はとても暑かった。ふたりとも、あそこにいればきっと誰にも見つからないだろうと思っていた。午後になると川の土手道を散歩し、付近でいちばん人出の多い岸辺へと向かった。たどり着くと下の砂浜に足を進め、ビーチタオルを広げて寝そべられそうな、ちょっとした空いている場所を探し歩いた。あのときほど幸せなことはなかった。日焼けオイルの匂いをふりまく人混みにまぎれていた、あのひととき。見わたすと、子供たちがあちこちで砂の城をつくっていた。アイスクリーム売りが商品を勧めながら通りすぎ、砂浜に寝ころんだ人びとの身体をまたいで行った。ふたりとも、見かけはほかのみんなと同じだった。私たちをほかの人たちから区別するものは何ひとつなかった。あの何日か、八月の日曜日。
(写真はマルセイユ港。今年の夏に撮影)

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