ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Robert Walser の “Jakob von Gunten”(2)

 スイスの作家 Robert Walser(1878 – 1956)のことは、レビューのイントロにも書いたとおり、もう10年ほど前だったか、いまは亡き優秀な英文学徒T君に教えてもらった。「Walser はいいですよ」という彼のことばは、いまだにはっきり耳にのこっている。
 どこがどういいのか、そこまでは聞かなかった。とにかく彼が推薦するのなら、と表題作(1909, 英訳1969)、それから "Selected Stories"(英訳1982)を買い求めたが、この夏までずっと(短編集のほうはいまだに)積ん読。しかも、ドラ娘が企画した盆休みの旅行中、お荷物と化した "Jakob von Gunten" を読みおえたのは、けっきょく家に帰ってから。T君には申しわけない雑な読みかたをしてしまった。

 T君とはなんどか文学談義をかわしたものだが、ふたりとも意見が一致したのは、Sebald のすばらしさ。「あれはすごい!」と異口同音に叫んだおぼえがある。

 今回 Walser を読んでみて、Sebald と似たような味わいがあり、T君はたぶん繊細なタッチの作品が好きだったんだな、と気がついた。英文科の学生だったが、ヨーロッパ文学ではなく、専門の英米文学では、どんな作家や作品について研究するつもりだったのか、それも聞きそびれてしまった。話題にした作家に絞ると、Millhauser あたりを考えていたのかもしれない。

 Walser の作品を Kafka が愛読していたことは、"Jakob ...." のレビューを書くにあたり、経歴を調べるまで知らなかった。知ってみると、たしかに本書には Kafka の作風にも近いものがある。

 主人公の17歳の少年 Jakob von Gunten は上流階級の生まれながら、an urge to learn life from the roots, and an irrepressible desire to provoke people and things into revealing themselves to me(p.122)という動機で、召使いを養成する専門学校に入学する。ところが、教員は足りず、いても居眠りしてばかり。教室に現れるのは校長の娘 Lisa だけで、それも How Should a Boy Behave? という問題について指導するのみ(p.5)。まことにケッタイな学校で、こうした不条理な状況の先に『城』があるともいえそうだ。
 この Lisa に Jakob は思いを寄せ、Lisa もまた Jakob に好意を示し、校内の奥にある別室へと誘いこむ。Lisa はさながら the enchantress who had conjured up all these visions and states で、Jakob は Had I been dreaming? .... I am living in a fairly tale and am no longer a cultured being in an age of culture. と述懐(p.109)。こんな「夢と幻想のいりまじったシュールな世界」も Kafka を思わせるものだ。
 Jakob は校長ともヘンテコな関係になるが省略。ともあれ学校は廃校となり、Jakob は校長ともども旅立つことに。The pupils, my friends, are scattered in all kinds of jobs. And if I am smashed to pieces and go to ruin, what is being smashed and ruined? A zero. The individual me is only a zero. But now I'll throw away my pen! Away of the life of thought!(p.176)これに先んじて Jakob の見た旅の夢がこうだ。It looked as if we had both escaped forever, or at least for a very long time, from what people call European culture.(p.174)
 こうしたくだりをぼくは次のようにまとめたのだけど、T君が読んだら、そのトンチンカンぶりにたぶん苦笑したことだろう。「現実そのものが揺らぎ、彼(ヤーコプ)の思索はたえず断片のまま彷徨をつづけ、やがて『存在の無』『考える生活の放棄』へとたどり着く。作者はそれを『ヨーロッパ文化からの逃走』と形容している」。
 上の例にかぎらず、本書には含蓄に富んだ文言がそこかしこにある。ぼくはたまたま、この不条理で「夢と幻想のいりまじったシュールな世界」が、ヨーロッパ文化の一翼をになう理性や論理的思考と対極にあるものではないか、Walser は「もしかしたら理性を重んじる啓蒙思想への反逆」を試みたのかも、と思える箇所に目がとまったにすぎない。
 Jakob の、そして Walser の「鋭敏かつ繊細な感覚」は、素人文学ファンのぼくには想像もつかないような深い真実をとらえていた気がする。そのあたり、T君の意見をぜひ聞きたかった。合掌。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)