ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Umberto Eco の “Numero Zero”(1)

 愛媛の田舎から帰ると飛び込みの仕事があり、今週はその処理に追われてしまった。テンプながら宮仕えのつらいところだ。
 おかげでブッカー賞ショートリストのチェックも遅れたが、なぜか現地ファンのあいだで有力視されていた Max Porter の "Lanny"(2019)が落選したのは、ぼくに言わせれば当然のこと(☆☆★★★)。そもそもロングリストに選ばれたのが解せない。
 Margaret Atwood と Salman Rushdie の大御所ふたりの入選は順当。もちろん未読だが(Atwood 作品にいたっては現時点でも未刊)、過去の実績からすれば誰でも予想できたはずだ。うれしかったのは、久しぶりに Elif Shafak が脚光を浴びたこと。2008年のオレンジ賞一次候補作 "The Bastard of Istanbul"(2006 ☆☆☆★★★)はとても面白かった。ショートリストに残らなかったのが不思議なくらいだ。 

 ともあれ、今年のブッカー賞はどの最終候補作も未読。ぜんぶ注文済みなので、手元に届き次第、順に楽しもうと思っている。
 さて先週、「田舎に着くまでに読みおえるといけない」と危惧した Umberto Eco の "Numero Zero"を片づけたのは、なんときょうの午後。念のためバッグに詰め込んだ Patrick Modiano の "Sundays in August" は文字どおり、お荷物になってしまった。
 "Numero Zero" はどうやら Eco 最後の作品らしい(2015)。ついこの春先まで知らなかったが、彼は本書刊行の翌年に他界している。これを読むと、その創作活動は最晩年まで旺盛だったことがわかる。ぼくはまだやっと3冊目。あと3冊はいつか読むつもりだ。
 前置きが長くなった。はて、どんなレビューになりますやら。 

Numero Zero

Numero Zero

 

[☆☆☆★★★] 近年のイタリアの政治や社会、なかんずくメディアを痛烈に皮肉った風刺作品だが、その矛先はイタリアのみならず、現代世界全体にむけられているといっても過言ではあるまい。政治経済、司法、宗教など各界の指導層はもちろん、反体制派にいたるまで腐敗と堕落に満ち、それを正しく報道すべきメディアといえばフェイクニュースを垂れ流している。ファクトとオピニオンを混同、ないしはすり替え、火のないところに煙を立てる〈あおり記事〉で印象操作に邁進。不都合な真実については報道しない自由を守るか、センセーショナルなほかの記事のなかに埋没させる。真相を暴露しようとする試みがあればフェイクニュースとして扱う。こうしたメディアによる恣意的な情報操作は大なり小なり、どの国でも行われているのではないか、と思わせるに足る展開である。ムッソリーニが替え玉を使って生きのび、ヴァチカンの庇護を受けて潜伏。その死後、遺鉢を継いだ極右の秘密組織が西側各国の諜報機関やマフィアなどと連携し、イタリア国内で数々のテロ事件を画策。荒唐無稽とも思える設定だが、エーコにしてはあっさりした書きっぷりで物足りない。おそらく奇想の余地がほとんどなく、現実に近すぎる内容のせいだろうが、ともあれ陰謀小説篇は話を盛りあげる小道具であり、社会風刺およびメディア批判の材料にすぎない。眼目はあくまでもその風刺にある。エーコ没後の世界において、ますます現代的な秀作である。