ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Virginia Woolf の “To the Lighthouse”(2)

 Virginia Woolf のことはすっかり忘れていた。書棚に何冊か作品が飾ってあるだけで、いままで手に取ったこともほとんどなかった。
 それどころか、ぼくのまわりで Woolf が話題にのぼることは、学生時代からいちどもなかったような気がする。先生方、先輩、友人、同僚、だれからも話を聞いたおぼえがない。ちょっぴりかじった英文学史の本でぜったい名前を見かけたはずなのに、その記憶すらない。つまり、ぼくにとって Virginia Woolf は昔からずっと忘れられた存在だったのである。
 それが去年の11月、Brandon Taylor の "Real Life" を読んでいたら、"To the Lightghouse" の話が出てきた。あのブッカー賞最終候補作の登場人物は生化学専門の大学院生がほとんどだったが、そのボーイフレンドのひとりが文学好きで Woolf を研究している、という設定だったような気がする。もしたまたま "Real Life" を読まなかったら、Woolf の本はいまだにホコリをかぶったままにちがいない。
 というわけで、この "To the Lighthouse" の舞台がスカイ島だということもまったく知らなかった。スカイ島! スコットランドにあるこの島の写真を初めて見たとき、世界にはこんな絶景があるのかと、思わず見とれてしまったものだ。(下の写真は無料サイトから借用したつもりですが、もし著作権のことで問題があるようならお知らせください)。

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 こんな景色を毎日ながめていたら、いや一瞬目にしただけでも、本書の Mrs. Ramsay と同じく、making of the moment something permanent(p.176)という衝動にかられるかもしれない。このくだりについて巻末の注には、this concept [is] very important for Woolf とあり、没後に出版された日記 "Moments of Being" への言及もある。
 こうした「永遠の瞬間」を人間の意識の流れのなかから汲み取り紙上に定着させる試み、それが "To the Lighthouse" ではないだろうか。
 そう思ったのと同時に、ぼくの個人的な体験だけでなく、もしほんとうに Woolf が忘れられた作家であるのだとしたら、この moments of being という点に理由があるのかもしれない、とも思った。ひょっとして、彼女の作品には moments of being しかないのかもしれない。もしそうだとしたら、やはり忘れられても仕方がないのではあるまいか。
 実際、Mrs. Ramsay は .... there is no reason, order, justice: but suffering, death, the poor.(p.71)と述懐しているのだけれど、このドキっとするような言葉に直結する劇的な事件が前後に、いやどこにも見当たらない。それは Mrs. Ramsay が直観した the essence sucked out of life(p.131)だったとしか思えないのだ。
 その直観は要するに結論であり、結論を導くプロセスとしての moments of being のつらなりが欲しい。それがない以上、「忘れられても仕方がない」。
 つまり、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」というわけだけど、これはもちろん "To the Lighthouse" を読んだだけの感想。代表作といわれる "Mrs Dalloway"(1925)を読むまで pending にしておこう。