きのう、Orhan Pamuk の近作 "The Red-Haired Woman"(2016)を読了。さっそくレビューを書いておこう。
[☆☆☆★★★] 現代トルコを舞台にしたパムク版『オイディプス王』。ここにあるのはむろん、ギリシア悲劇における神と人間との劇的対立ではなく人間同士の対立だが、父と子の運命的な対立を軸に母の愛もまじえ、父が子に目を撃たれるといった細部にいたるまで、みごとな本歌取りとなっている。少年ジェムが旅役者の赤い髪の女にひと目ぼれする第一部は青春小説。『オイディプス王』のほか、ペルシア叙事詩の英雄ロスタムとその子ソフラーブの悲劇も後半への布石となり、衝撃的な章末の事件ともども、ほろ苦い通過儀礼という定番のテーマではおわらぬ工夫が光る。30年後、建築会社の社長となったジェムが青春時代の舞台を再訪する第二部では、父と子の愛憎劇が全開。当初ゆるやかな展開のうちにジェム一家にまつわる驚愕の事実が明かされ、やがて第一部同様、いやそれ以上に結末が気になるサスペンスフルな事件が発生。すべての謎と背景を説明するのが第三部の語り手、赤い髪の女という構成は、青春小説の香りに満ちた第一部とあわせてパムク版『無垢と経験の歌』といえよう。軽い扱いながら左翼運動を中心としたトルコの政治史や、現代人のアイデンティティが話題になったり、登場人物が本書の作者となるメタフィクションの技法が導入されたりと、いかにもパムクらしい作品に仕上がっている。運命に翻弄される人間を物語性豊かに描いた佳篇である。