ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Georgi Gospodinov の “Time Shelter”(1)

 数日前、今年の国際ブッカー賞受賞作、Georgi Gospodinov の "Time Shelter"(2020, 英訳2022)を読みおえたのだけど、例によって散漫な読みかたが災いし、きょうまでなかなか感想をまとめる気にならなかった。Gospodinov はブルガリアの作家で、本書は彼のデビュー作(原語はブルガリア語)。はて、どんなレビューもどきになりますやら。

Time Shelter: Winner of the International Booker Prize 2023 (English Edition)

[☆☆☆★] 本書が刊行されたのは、ロシアによるウクライナ侵攻開始の前年。ゆえにこれは情勢の激変を反映したものではないが、その予兆といえないまでも、少なくとも国際政治の現実のメタファーとして解することはできよう。ある国家がひとつの過去にこだわり、その過去の再現を試みるとき、戦争がはじまる。本書はこの危険なメタファーで幕を閉じる。全篇の主題はひと言でいうと時間、具体的には過去と現在、記憶と忘却。『タイム・マシン』あたりを嚆矢とする時間テーマのSFで、物語的には前半ほどおもしろい。タイムトラベラーを思わせる謎の精神科医ガウスティンの認知症クリニックでは、年代別に過去を再現した病室が、現在を遮断した「タイム・シェルター」として、患者はもとより健常者にも大人気。やがて同様のクリニックがヨーロッパ各地に出現し、EU諸国は国民投票で国別に回帰すべき「我等の生涯の最高の年」を選ぶことに。社会主義者ナショナリストがしのぎを削するものの、それがじつは茶番にすぎず両派はけっきょく野合、というブルガリア篇が現実にもありそうな話で秀逸。黄金時代の選定が混乱と分断を招いたあげく、上のメタファーへといたる過程では時間をめぐる形而上学的な思索がつづき、ガウスティンも全篇の語り手の「私」もあやふやなメタフィクション的人物と化す。「歴史のどちら側にいるか定かでない」人間は無意味な存在であるといいたげだが、歴史の定点への回帰は争いを起こすともいうわけで、「私」と作者の思索には矛盾もあるようだ。そもそも本書には、ひとはなぜ過去をふりかえるのか、という疑問への言及がまったくない。それは当然、なぜ生きるのか、という人生やアイデンティティの問題へとつながるはずだが、これについても隔靴掻痒、周辺の知的逍遙にとどまっている。タイム・シェルターの外の動きではなく、内なる自分を深く見つめるべきではなかったろうか。