ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Georgi Gospodinov の “Time Shelter”(2)

 今年のブッカー賞最終候補作は、前回紹介した現地の人気ランキングをもとに、上位四作を注文した。デカ本らしい "The Bee Sting" と人気薄の "Western Lane" はパス。
 四冊とも手元に届くのは来月になりそうなので、それまでのツナギに Michel Houellebecq の "Submission" を読みはじめた。刊行されたのは2015年だから、周回遅れもいいところだ。
 いままで手に取らなかったのは、現代フランス文学といえば、ぼくは Modiano 中毒患者なので、そちらの追っかけで忙しかった。それと、たまに目にふれる記事から臆測するに、Houellebecq はどうもヤバい作家というか、なにやらキナくさい問題に取り組んでいる作家というイメージがあった。要は、食わずぎらいですな。
 開巻、これは傑作の予感がする。硬軟自在というか、まじめな文学論のあとに大学教授 Françoisのセックス遍歴談、フランスの政治情勢をめぐる不安のあとに blowjob とは恐れ入った。François はノンポリのようだが、やがて大事件に巻きこまれそうな予兆あり。それが「傑作の予感」というわけではなく、きりっと引き締まった文章が先の展開を期待させるのだ。ぼくにしてはめずらしく、エリを正して読んでいる。
 さて表題作の著者はブルガリアの作家。たまたま Houellebecq  とヨーロッパつながりだ。
 Houellebecq のほうは2022年の事件らしく去年の話だが、刊行年からすれば近未来SF。これにたいし、"Time Shelter" は「『タイム・マシン』あたりを嚆矢とする時間テーマのSF」。「全篇の主題はひと言でいうと時間、具体的には過去と現在、記憶と忘却」といちおうカッコよくまとめたつもりだけど、要はユーミンの「あの日に帰りたい」。その帰りたい日が time shelter というわけだ。

 ひとはみな昔のことをなつかしく思い出すものだが、その昔はひとそれぞれのはず。ところがここでは、EU諸国が「国民投票で国別に回帰すべき『我等の生涯の最高の年』を選ぶことに」。その結果どうなるか、というのが本書のミソである。
 そのうち、「ブルガリア篇が現実にもありそうな話で秀逸」。the time of mature socialism, more specifically the 1960s and '70s を黄金時代とする the Movement for State Socialism(Soc) と、Great Bulgaria の復活を夢見る Bulgari-Yunatsi, the Bulgarian Heroes がつばぜり合いを演じ(pp.155-156)、両派の衝突から流血事件さえ起きるものの、じつはそこに裏のシナリオがあり、エキストラが多数動員されていた(p.193)。じっさい投票の結果、Soc が薄氷の勝利をおさめた直後、Soc は the unity of the nation を維持するために Heroes と連合を結成(p.211)。こうした社会主義ナショナリズムの融合は最近のロシアを思わせ興味ぶかい。
 さらに本書は、「ある国家がひとつの過去にこだわり、その過去の再現を試みるとき、戦争がはじまる」という「危険なメタファーで幕を閉じる」。本書刊行(2020)の翌々年にロシアがウクライナ侵攻を開始したのは偶然か、それとも Gospodinov はなんらかの兆候を察知して構成を練ったのか。
 でもまあ、そんな政治問題?はどうでもいい、とはいわないけれど二の次三の次。それより Gospodinov には、ひとがみな「昔のことをなつかしく思い出す」のはなぜか、という点をもっと掘り下げてもらいたかったですな。その先には、ひとは「なぜ生きるのか、という人生やアイデンティティの問題」があるからだ。
 ところが作者の「時間をめぐる形而上学的な思索」は肝腎の問題をほとんど素どおりしている。だから退屈至極。読んでいてとても眠かった。作者は「タイム・シェルターの外の動きではなく、内なる自分を深く見つめるべきではなかったろうか」。

(写真は、8月の旅行で訪れた別府の坊主地獄。小4のころだったか、この「ブクブク」をはじめて見たときは目が釘づけになってしまったものだ)