ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “Demon Copperhead”(5)

 Siân Hughes の "Pearl"(2023)を読んでいる。なかなかおもしろい。
 手に取ったきっかけは、先月初め The Mookse and the Gripes のブッカー賞関連のスレッドで、イギリス人の文学ファン Paul Fulcher 氏のこんなコメントを目にしたからだ。Well I have read precisely zero and will read a couple (Pearl and Study for Obedience) - others I'll await recommendations. / Yes those two [Prophet Song and Study for Obedience] and Pearl (as it's a small press book). None of the others look at all interesting.
 いまでこそ例年どおり、いろいろなファンが同賞候補作のランキングを公表しているけれど、ロングリストの発表直後はほとんど閑古鳥。表題作をはじめ、当然ノミネートされるものと期待していた作品が選外となり、失望を表明するファンがいつになく多かった。Fulcher 氏もそのひとりだろう。
 Fulcher 氏とぼくの趣味は合わないこともあるが、いままで彼のブッカー賞予想はよく当たったように記憶している。その彼が注目しているのなら、ということで "Pearl" をゲットした。ただし現在、人気ランキングでは第7位。
 じつはぼくも少し読んでみて、ショートリスト入りはキビしいかも、という気がしている。ヒロイン Marianne の少女時代、母親が突然なにも告げずに家出。いまのところ、ただそれだけの話のようだ。
 それでもおもしろく読めるのは、ひさしぶりに接したフツーの長さのフツーの小説だからである。マジックリアリズムだのメタフィクションだの、現代文学でおなじみの超絶技巧が駆使されているわけでもなく、また表題作のようなデカ本でもなく、Marianne の母の思い出が淡々と綴られていく。
 どうして私がこんな思いをするの? / あなたにぶつけた / すごく寂しかったから / それでも私が / 風邪をひいた夜には / 朝日が昇るまで / そばにいてくれたね
 中島美嘉の「Dear」の歌詞が耳の奥でひびいてきて、切ない。こんな小品こそ、ショートリストにのこってほしいものだけど、はて。

Dear

 いかん、今回も脱線ばかり。表題作の話はどうなったのか。そもそも、いつ読みはじめて、いつ読みおえたのかも記憶があやふやになっている。ただ、前回紹介したように、主人公の貧乏少年 Demon が年老いた売春婦につきまとわれるくだりは、ほんとにヤバい。ほかにも、孤児となった Demon が里親に酷使され地獄の日々を送るところもハイライト。
 そんなエピソードを読んでいるうちに、なんとなくこれ、『デイヴィッド・コパフィールド』に似ているな、という気がしてきた。あちらもたしか、貧乏少年が主人公だったのでは。そう気づいてみると、"Demon Copperhead" というタイトルも "David Copperfield" のパクリのように思える。
 ただ、かの古典のほうは高校時代、邦訳で読んだだけ。その記憶がふとよみがえってきたのだから、まことにもって怪しい。
 というわけで、「読了後、あっ、と驚いた」。I'm grateful to Charles Dickens for writing David Copperfield, ... と巻末の Acknowledgements にしるされていたからだ。ほんとにパクリだったのか。いや、パクリという表現はよくない。古典の本歌取りでしょう。
 そこでレビューもどきをでっち上げるべく、ディケンズ先生について調べてみた。手持ちの資料は三冊。原著の刊行順に、G.K.チェスタトン著『ヴィクトリア朝の英文学』(1913)、ジョージ・オーウェル著『チャールズ・ディケンズ』(1940)、W.S.モーム著『世界の十大小説』(1954)である。
 どれもパラパラめくりながら読みかえしただけだが、いちばん目にとまったのは、『オーウェル評論集』所収のディケンズ論だった。

オーウェル評論集 (岩波文庫)

 オーウェルディケンズトルストイを比較しながらこう述べている。「彼ら(トルストイの登場人物たち)は自己の魂の形成に悪戦苦闘する」。これ、すごい指摘だ! さすがオーウェル先生、慧眼の士ですな。
 このひと言からぼくは "Demon Copperhead" について感想をまとめたのだから、これまたすごい。いい加減という意味ですけどね。

 ともあれ、"Demon Copperhead" は「開巻しばらくしてから最後まで、あまり乗れなかった」。最初のうちこそおもしろかったけれど、やがてどのエピソードも同工異曲、なんだか金太郎飴みたいな味わいがしてきた(上のような例外もあるけれど)。
 一方、オーウェルによれば、「ディケンズの人物たちは初めから出来上がった完成品なのだ」という。ううむ、これ、Demon 少年についても当てはまる指摘でしょう。だから「金太郎飴みたいな味わい」だったのか。Kingsolver 女史は「文豪の弱点をも本歌取りした」のだろうか。
 興味は尽きないが、ディケンズ先生の本を英語で読んでみるまで、最終的な結論を出すのはペンディング。しかし、つい最近観た『アバウト・タイム』のなかで、「ディケンズは一生に二度しか読めない」という話が出てきた。

アバウト・タイム~愛おしい時間について~ [Blu-ray]

 どの長編も超大作だから、ということだろう。ぼく自身、原作はどれも未読。いつか "Bleak House" に挑戦しようと、デスク橫の書棚に飾っているところです。